【日本M&A史】「三大メガバンク」の成立 金融危機の発生と長期化(11)

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日本の近代化、工業化、経済発展の歴史は、M&Aの歴史でもあった。このコーナーでは、日本経営史全体に大きなインパクトを与えた企業合併や企業買収を全12回にわたり振り返ってゆく。第11回で取り上げるのは、「三大メガバンクの成立―金融危機の発生と長期化」である。

「失われた十年」の直接的な要因とは

「失われた十年」と呼ばれた1990年代における日本の経済危機の直接的な要因が、事業会社の側からみれば債務の累積、銀行の側からみれば不良債権の累積にあったことは、よく知られている。これらの二つの「累積」は、事業会社における金融上のノウハウの不足、銀行におけるモニタリング能力の欠如によってもたらされた。

財テクの失敗-債務の累積

振り返ると1980年代は、主要産業の強い国際競争力を根拠にした輸出超過の本格化によって、貿易収支の黒字幅が拡大し、大量の資金が日本の金融市場に流れ込んだ。このような新たな状況のもとで、多くの事業会社は、銀行融資に依存してきた資金調達のあり方を、エクイティ・ファイナンス*を重視する方向に転換し始めた。

この転換は、1980年代後半のバブル景気の時期に顕在化し、「財テク」という言葉が、日本の実業界で最も重要なキーワードの一つとなった。

*エクイティ・ファイナンスとは、新株発行など、企業の株主資本(エクイティ)の増加をもたらす資金調達のことである。

しかし、金融上のノウハウの不足が災いして、多くの事業会社の「財テク」は失敗に終った。「財テク」の失敗は、多くの事業会社に債務の累積をもたらすことになった。

危険な融資-不良債権の累積

一方で銀行は、金融市場への資金の流入と事業会社の間接金融依存からの脱却という状況変化を受けて、新たな資金の貸出先を探す必要に迫られた。結果的に銀行は、十分なモニタリングを行わないまま、土地を担保にした危険な融資を遂行することになった。

この危険な融資が、1990年代初頭のバブル経済の崩壊後、不良債権の累積という結果を招来したことは、周知の事実である。

これらの事情から、1990年代に顕在化した日本の危機は、①輸出超過による資金余剰の発生、②事業会社における金融上のノウハウの不足、③銀行におけるモニタリング能力の欠如、という三つの要因によって引き起こされたと言うことができる。

このうち①の要因は、日本経済史の文脈の中では、比較的新しい現象である。工業化が始まった明治時代から生産システムの革新が生じた1960年代の半ばにいたるまで、日本経済は、ほぼ一貫して、貿易収支の赤字基調に悩まされ続けた(1970年代にも、石油危機による原油価格の高騰によって、貿易収支の黒字幅は小規模であった)。比喩的な表現を用いるならば、1990年代の日本で生じた危機は、「成金の悲劇」だったと言えなくもない。

長年にわたってカネ不足に悩まされてきた日本経済は、突然、大量のカネを手に入れてそれを管理する術を知らず、右往左往しているうちに落し穴にはまってしまったのである(以上の点について詳しくは、橘川武郎「金融システムは革新できる」同『歴史学者 経営の難問を解く』日本経済新聞出版社、2012年、6章参照)。

ユニヴァーサルではなく、メガバンク路線を選択

1990年代に顕在化した日本の危機の本質が金融システムの危機であったとすれば、その金融システムをどのように改革すればよいのだろうか。この点では、何よりも、事業会社が、エクイティ・ファイナンスのノウハウを身につけることが重要である。それとともに、銀行も、国際競争力をもつユニヴァーサル・バンクに生まれ変わらなければならない。

ユニヴァーサル・バンクは、大企業のエクイティ・ファイナンス需要に対応するものであり、証券業務と銀行業務の双方に従事するものである。その活動領域は日本市場に限定されず、世界市場に及ぶ。

1998(平成10)年日本興業銀行(興銀)が野村證券との提携をめざしたとき、日本でも、本格的なユニヴァーサル・バンクが誕生するのではないか、という期待が高まった。しかし、結局、この提携は実現せず、興銀は富士銀行および第一勧業銀行との合併(その結果、2002年にみずほ銀行が誕生した)という、メガバンク路線を選択した。

三大メガバンクの成立

みずほ銀行誕生の前年の2001年には、旧三井銀行の流れをくむさくら銀行と住友銀行とが合併し、三井住友銀行が発足していた。また、2006年には、東京三菱銀行とUFJ銀行とが合併し、三菱東京UFJ銀行が誕生した(2018年に三菱UFJ銀行へ商号変更)。こうして、「三大メガバンク」の成立をみたのである。

しかし、これらのメガバンクは、証券業務や国際展開の脆弱性から、すぐには、金融システム改革が求めるユニヴァーサル・バンクの母体とはなりえなかった。1990年代から2000年代にかけての日本では、IPO(Initial Public Offering, 株式公開)の盛行など、エクイティ・ファイナンス需要の高まりを背景にして、ユニヴァーサル・バンクの出番が拡大したが、これらのビジネスチャンスをものにしたのは、多くの場合、外資系の金融機関であった。しかも、それらの外資系金融機関では、興銀から流出した優秀な人材が大量に活躍していた。

日本の都市銀行が、ユニヴァーサル・バンクではなくメガバンクの道を選んだことは、1990年代に顕在化した日本の経済危機を長期化させる一要因になったとみなすことができる。

文:橘川 武郎(きっかわ たけお)国際大学大学院国際経営学研究科教授

前回の記事はこちら グローバル・トップへの道 ブリヂストンのファイアストン買収(10)

橘川 武郎

1951年生まれ。75年東京大学経済学部卒業。83年東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。同年青山学院大学経営学部専任講師、87年同大学助教授。その間ハーバード大学ビジネススクール 客員研究員などを務める。93年東京大学社会科学研究所助教授。96年同大学教授。2007年一橋大学大学院商学研究科教授。15年東京理科大学大学院イノベーション研究科教授。20年より現職。

著書は『日本電力業発展のダイナミズム』(名古屋大学出版会)、『原子力発電をどうするか』(名古屋大学出版会)、『東京電力 失敗の本質』(東洋経済新報社)、『電力改革』(講談社新書)、『出光佐三―黄金の奴隷たるなかれ』(ミネルヴァ書房)、『出光興産の自己革新』 (一橋大学日本企業研究センター研究叢書)、『資源小国のエネルギー産業』(芙蓉書房出版)、『石油産業の真実―大再編時代、何が起こるのか―』 (石油通信社新書)、『ゼロからわかる日本経営史』(日本経済新聞出版)、『イノベーションの歴史』(有斐閣)など。電力会社10社中7社の社史を執筆ないし監修。

総合資源エネルギー調査会委員。経営史学会前会長。


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