【日本M&A史】グローバル・トップへの道 ブリヂストンのファイアストン買収(10)

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東京・京橋

日本の近代化、工業化、経済発展の歴史は、M&Aの歴史でもあった。このコーナーでは、日本経営史全体に大きなインパクトを与えた企業合併や企業買収を全12回にわたり振り返ってゆく。第10回で取り上げるのは、「ブリヂストンのファイアストン買収―グローバル・トップへの道」である。

グローバル・トップへの道

6産業で『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を実現

エズラ・ヴォーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(Vogel, Ezra F., Japan as Number One: Lessons for America, Cambridge, Mass.; London: Harvard University Press)が刊行されたのは、石油危機への日本の優れた対応が国際的に注目されていた1979(昭和54)年のことである。しかし、個々の産業についてみれば、それ以前から「世界ナンバーワン」を実現した企業がいくつか存在した。

元経営史学会会長の山崎広明は、1991(平成3)年の時点で、明治維新以降、綿業・レーヨン(人絹)工業・鉄鋼業・家庭電器(テレビ)産業・半導体産業・自動車産業の6産業が「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を実現してきたと指摘している(山崎広明「日本企業史序説―大企業ランキングの安定と変動」東京大学社会科学研究所編『現代日本社会第5巻 構造』東京大学出版会、1991年)。

本格的な円高をもたらした1985年のプラザ合意を契機にして、日本の対外直接投資は急増するにいたった。日本の製造業の海外生産比率(国内法人売上高に対する海外現地法人売上高の比率)は、1985年度には3.0%であったが、1990年度には6.4%、1995年度には9.0%、2000年度には14.6%と急伸した。

海外進出企業の本社企業売上高に占める海外現地法人売上高の割合も、1985年度には8.7%であったものが、1986年度には10%、1994年度には20%、1997年度には30%の大台を、それぞれ突破した(橘木俊詔編『戦後日本経済を検証する』東京大学出版会、2003年、および総務省統計局・政策統括官・統計研修所『日本の長期統計系列』、2006年)。

グローバル・トップを目指したブリヂストンと大日本インキ化学工業

海外直接投資の活発化とともに、企業レベルでもグローバル・トップをめざす動きが出始めた。その際、多用されたのが、有力海外企業を対象にしたM&Aである。

『週刊ダイヤモンド』1987年3月7日号には、「これから大いに夢がある企業の海外進出」と題して、ブリヂストンの家入昭社長と大日本インキ化学工業の川村茂邦社長(いずれも当時)との対談記事が掲載されている。

そのなかで、家入社長は、「ファイヤーストンという会社ですがね。彼らは当時20ぐらい工場を持っていたんですけれども、そのひとつを買ってくれというので買収したんです。トラック用ラジアルタイヤ専用の工場です。最新式の工場ですが、できた後に大ストライキをやられて、それに品質がよくなくて、私どもが買収しないとほとんど閉鎖するという状態でした。彼らはナンバー2(全米で…引用者)の会社でしたが、ラジアルの技術開発についていけなかったのですよ。」と述べている。

ブリヂストンは、このあと1988年に26億ドルの巨額を投じて米国のファイアストン社全体を買収し、世界最大のタイヤメーカーとなった。

一方、対談相手の川村社長も、対談のなかで、「日本のインキの技術は高い、十分通用するな、ということがわかったんです。」「しかし、これを大きくしてサンケミカルのような会社にするというのはとうてい無理ですから、やはり全米というか世界のリーディングポジションを確立しようというわけで、サンケミカルには一昨年の4月から、売ってくれないかと申し入れていたんです。それからいろいろあって、最終的には売る気になったんですが、6億㌦という値段で譲らんわけですよ。」「われわれの提案は4億2500万㌦なんです。当時の円レートが260円から250円ぐらいでした。」「すったもんだしているうちに、だんだん円が高くなって、ついに150円近くまできたわけです。で、5億5000万㌦までは大体ペイできるところまできたんです。」と語っている。

1986年に実現した米国サンケミカルの買収は、大日本インキ化学工業(現DIC)が世界有数の印刷インキメーカーとなる契機となったが、それを可能にしたのはプラザ合意後の円高の進展だったのである。

日本企業は、海外進出するにあたって、現地の企業や事業所を合併ないし買収するという手法をさかんに用いた。日本のM&Aは、1960~70年代には資本自由化等への対応という防衛的な意味合いを色濃くもっていたが、1980年代半ば以降の時期にはグローバル市場での覇者をめざす攻撃的な性格も帯びるようになったのである。

文:橘川 武郎(きっかわ たけお)国際大学大学院国際経営学研究科教授

前回の記事はこちら 戦後の大型合併 新日本製鉄の発足(9)

橘川 武郎

1951年生まれ。75年東京大学経済学部卒業。83年東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。同年青山学院大学経営学部専任講師、87年同大学助教授。その間ハーバード大学ビジネススクール 客員研究員などを務める。93年東京大学社会科学研究所助教授。96年同大学教授。2007年一橋大学大学院商学研究科教授。15年東京理科大学大学院イノベーション研究科教授。20年より現職。

著書は『日本電力業発展のダイナミズム』(名古屋大学出版会)、『原子力発電をどうするか』(名古屋大学出版会)、『東京電力 失敗の本質』(東洋経済新報社)、『電力改革』(講談社新書)、『出光佐三―黄金の奴隷たるなかれ』(ミネルヴァ書房)、『出光興産の自己革新』 (一橋大学日本企業研究センター研究叢書)、『資源小国のエネルギー産業』(芙蓉書房出版)、『石油産業の真実―大再編時代、何が起こるのか―』 (石油通信社新書)、『ゼロからわかる日本経営史』(日本経済新聞出版)、『イノベーションの歴史』(有斐閣)など。電力会社10社中7社の社史を執筆ないし監修。

総合資源エネルギー調査会委員。経営史学会前会長。


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