日本の近代化、工業化、経済発展の歴史は、M&Aの歴史でもあった。このコーナーでは、日本経営史全体に大きなインパクトを与えた企業合併や企業買収を全12回にわたり振り返ってゆく。第4回で取り上げるのは、「新王子製紙の登場」である。

三社合併による新王子製紙の誕生

 1933(昭和8)年5月、王子製紙、富士製紙、樺太工業の三大製紙会社は合併して、新たに王子製紙が発足した。この新王子製紙の誕生は、製紙産業史だけでなく日本経営史全体にとっても大きな衝撃を与える出来事であった。

 合併直前の時点で、『ダイヤモンド』1933年2月1日号に掲載された「新王子製紙の内容と利益予想」は、「王子製紙、富士製紙、樺太工業の所謂三大製紙会社は、愈々、近く正式に合併する」、「合併後に於ける新王子の洋紙製造能力は、我が総能力に対し、実に八割五分の多くを占め、また、原料パルプに於ては、内地製供給力の、殆ど全部を、独占することゝなる」、「我が事業界に於て、洋紙の如く、斯く高度に独占化してゐるものはない」と述べている。

 三社合併による新王子製紙の誕生は、第二次世界大戦後に制定されることになる独占禁止法のもとではほとんどありえないような、高い独占力を持つ一大トラストの成立を意味したのである。

三井財閥の製紙制覇

 1920年代の日本で、富士製紙・王子製紙・樺太工業は「三大製紙会社」と呼ばれていた。これら3社は、製紙業の生産部門においてのみならず、「北海道および樺太における原料ソースの確保」や流通機構の系列化をめぐっても激しく競争し(大東英祐「戦間期のマーケティングと流通機構」由井常彦・大東英祐編『日本経営史3:大企業時代の到来』岩波書店、1995年、187-195頁)、結果として、それぞれが日本を代表する大企業に成長した。その3社が新王子製紙として統合することに関しては、当時、「三井の製紙制覇」という見方が有力であった。

 例えば、西野入愛一『日本コンツェルン全書Ⅸ 浅野・渋沢・大川・古河コンツェルン読本』(春秋社、1937年)は、富士製紙に焦点を合わせて、次のように述べている(214-217頁)。

 富士製紙は、王子製紙・樺太工業とともに、業界を代表する大製紙メーカーであった。富士製紙の大株主は1929年まで穴水要七と大川平三郎であったが、同年の穴水の病死後は、穴水の持株分を購入した三井系の王子製紙が最大の株主となった。昭和恐慌による製紙業の不振が深刻化するなかで、三井系の株主35名の発案により、富士製紙は王子製紙に合併されることになった。この合併に大川は反対であったが、三井財閥の資本力の前には屈服せざるをえなかった。しかも、「合併後の二社を敵に廻して戦ふには余りにも手傷を負ひすぎてゐた」(216頁)樺太工業(大川平三郎系の企業)も、同時に王子製紙に合併されることになった。

 1933年にこれら3社の合併は実現し、いわゆる「三井の製紙制覇」が達成された。

大企業の時代到来を意味した合併

 新王子製紙の誕生が製紙産業史だけでなく日本経営史全体にとっても画期的なものだった理由は、合併した3社がもともとわが国を代表する大規模企業だった点に求めることができる。

 1929年下期における上場鉱工業企業の総資産額上位5社を列記すると、1位が川崎造船所、2位が富士製紙、3位が王子製紙、4位が鐘淵紡績、5位が樺太工業となる(経営史学会編『日本経営史の基礎知識』有斐閣、2004年、406頁。中村青志作成資料)。

 資産上位5社中3社が製紙会社であった点も驚きであるが、その3社が合併したのであるから、さらに驚きが重なる。なお、製紙会社の資産が巨大だったのは、原料確保のため、広大な山林を所有していたからである。

 新王子製紙の誕生は、日本にも本格的な「大企業の時代」が到来したことを意味した。わが国において大企業は、①多角化、②水平統合、③垂直統合、という三つの戦略を通じて登場した(大東前掲「戦間期のマーケティングと流通機構」184頁)が、その主たる担い手は、①については財閥系諸企業、②については紡績会社と電力会社、③については山林まで保有するにいたった製紙会社であった。しかし、新王子製紙の成立によって、製紙会社は②の水平統合についても主役に躍り出たと言える。

文:橘川 武郎(きっかわ たけお)国際大学大学院国際経営学研究科教授

前回の記事はこちら 「五大電力」の成立 大衆消費社会への道を開いた電化の進展