【日本M&A史】三菱重工業の復活 財閥から企業集団へ(8)

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旧岩崎邸庭園(東京・上野)

 日本の近代化、工業化、経済発展の歴史は、M&Aの歴史でもあった。このコーナーでは、日本経営史全体に大きなインパクトを与えた企業合併や企業買収を全12回にわたり振り返ってゆく。第8回で取り上げるのは、「三菱重工業の再登場」である。

世界で戦うために…三菱重工業の復活

 1954(昭和29)年の三菱商事の再統合、1959年の三井物産の再統合に続く、1964年6月の三菱三重工(三菱日本重工・新三菱重工・三菱造船)合併による三菱重工業の再登場は、「財閥の復活」として、国内外に大きな反響を呼んだ。戦後の占領下で実施された財閥解体・独占禁止施策によって企業分割に追い込まれた代表的な企業である三菱重工業が復活をはたしたことのインパクトは、きわめて大きかったのである。

 『ダイヤモンド』1967年4月22日号の「資本自由化に挑戦する巨大企業の経営戦略 三菱重工業の悲願」は、3年前の1964(昭和39)年に3社合併によって同社が再生したことの意味を掘り下げている。

 同記事は、「昭和39年の6月1日」「この日、新三菱重工、三菱造船/三菱日本重工の合同なって、三菱重工が一四年ぶりに、その巨大な姿をよみがえらした」「藤井深造・初代社長(現会長)は、発足にあたっての演説で、合併の趣旨をこう語っている」「『世界の経済は、いっそう自由化の度をまし、本年にはいるにおよんで、日本はIMF八条国となりさらにOECDにも加入するなど開放経済にまっ正面からぶつかることになりました。この大勢に対処するには、会社の基礎を極力強化して、競争力を強くするほかないのであります。そこで三重工は合併を断行し、その有する人材、設備、技術を統合して最も有効にこれを動かし、二重投資を回避して、ゆるぎない体制をつくることを決意したしだいです』」と伝えている。

 1964年のIMF(国際通貨基金)8条国*移行とOECD(経済協力開発機構)加盟は、1967年から本格化する資本自由化の序曲であった。三菱重工業の再生は、世界と戦うことを目的としていたのである。

 三菱重工業の再統合には、三菱三重工間の競合や重複投資を除去するというねらいがあった。また、「三社共通の主要取引銀行である三菱銀行や、主要取引商社である三菱商事など、三菱グループ内からも三重工の協調体制の確立を期待する声が強まっ」ていた(三菱重工業株式会社『海に陸にそして宇宙へ―続三菱重工業社史』、1990年、56頁)という事情も存在した。

調停者は三菱商事

 三菱三重工の合併に際しては、三菱商事の再統合の場合と同様に、グループ内の他社が調停の役割をはたすという、企業集団としての活動がみられた。三重工合併の調停者となったのは、ほかならぬ三菱商事であった(鈴木健「企業集団と総合商社」『証券経済』145号、1983年、111-112頁)。つまり、三菱商事の再統合においては三菱三重工が斡旋役の一翼を担い、三菱三重工の合併においては三菱商事が調停役をはたすという、きわめて興味深い関係が現出したわけである。

 三菱商事が三菱三重工の合併に関与したのは、それによって多大な利益を得るからであった。

 この点について、『三菱商事社史 下巻』は、①三菱重工業の再統合により三菱三重工時代の競合が消滅し、従来のように三重工間の調整に三菱商事が腐心する必要がなくなったこと、②三重工時代には各事業所が行なっていた資材の購入を、三菱重工業の新発足以降は本社が一括して行うようになったため、三菱商事に対する支払い条件等が一本化されたこと、③三重工合併を機に三菱商事の鉄鋼部門が、三菱重工業・高炉メーカー間の初受注システムの開発や鋼材流通体制の整備に力を入れたため、三菱重工業が購入する鋼材についての三菱商事の取扱いシェアが、主力の造船材において、合併前の40%から合併後の80%へ倍増したこと、などを指摘している(三菱商事株式会社『三菱商事社史 下巻』、1986年、260-261頁)。

「企業集団の形成」を象徴する再統合

 ここで強調しておく必要があるのは、三菱商事・三井物産・三菱重工業の再統合は、けっして「財閥の復活」を意味するものではなく、戦後型の「企業集団の形成」を象徴するものだったことである。

 企業集団については、「多様な業界の有力企業が相互に株式を持ち合うことによって成立した集団で、大株主として社長会をもつ」と、定義づけることができる(橘川武郎『財閥と企業グループ』日本経営史研究所、2016年、8頁)。戦後の財閥解体によって、同族や本社の株式所有という、財閥を特徴づける要件は消滅した。それは安定株主の喪失を意味したが、その穴を埋めたのは、グループ内企業間の株式相互持合いであった。相互持合いの進展をふまえて、三菱グループの社長会である金曜会は1954年ごろ、三井グループの社長会である二木会(にもくかい)は1961年に、それぞれ発足した。

* 国際通貨基金(IMF)は、IMF協定第8条に規定する加盟国に対して、加盟国間の経常取引に関する多角的支払制度の確立や、為替制限の撤廃などを求めている。

文:橘川 武郎(きっかわ たけお)国際大学大学院国際経営学研究科教授

前回の記事はこちら 三菱商事と三井物産の復活 財閥解体と総合商社(7)

橘川 武郎

1951年生まれ。75年東京大学経済学部卒業。83年東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。同年青山学院大学経営学部専任講師、87年同大学助教授。その間ハーバード大学ビジネススクール 客員研究員などを務める。93年東京大学社会科学研究所助教授。96年同大学教授。2007年一橋大学大学院商学研究科教授。15年東京理科大学大学院イノベーション研究科教授。20年より現職。

著書は『日本電力業発展のダイナミズム』(名古屋大学出版会)、『原子力発電をどうするか』(名古屋大学出版会)、『東京電力 失敗の本質』(東洋経済新報社)、『電力改革』(講談社新書)、『出光佐三―黄金の奴隷たるなかれ』(ミネルヴァ書房)、『出光興産の自己革新』 (一橋大学日本企業研究センター研究叢書)、『資源小国のエネルギー産業』(芙蓉書房出版)、『石油産業の真実―大再編時代、何が起こるのか―』 (石油通信社新書)、『ゼロからわかる日本経営史』(日本経済新聞出版)、『イノベーションの歴史』(有斐閣)など。電力会社10社中7社の社史を執筆ないし監修。

総合資源エネルギー調査会委員。経営史学会前会長。


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