広島に原爆が投下され、市内一円は壊滅状態になった。銀行も例外ではない。広島銀行の資料などによると、1945年8月当時、16あった本支店のうち11の本支店が全半焼し、450人いた行員のうち144人が亡くなったという。筆舌に尽くしがたい惨状に広島の街も金融機関も打ちのめされた...
埼玉県大宮に本店を構える武蔵野銀行は1952年4月、戦後地銀の1つとして開業した。戦後に誕生したこのような地銀はアプレ地銀とも呼ばれる。今日まで大掛かりなM&Aは見られず、他業態への進出を重ねてきた。本店の建築が進む武蔵野銀行の次の一手は?
南北に延々と長い新潟県のトップバンクは第四銀行。明治期の第四国立銀行の流れを組む“ナンバーバンク”で、創立時の行名を残す最古の銀行として、その歴史、営業エリア、預金量や貸出金残高などを総合的に見ても、地銀の代表格といえる金融機関である。
“ご当地銀行”の合従連衡史の7回目は秋田県。秋田では、2つの地方銀行がしのぎを削っている。明治期に設立された国立銀行の流れをくむ秋田銀行と、同じく明治期に秋田・横手地方に設立された私立銀行である増田銀行の流れをくむ北都銀行である。