このように、11~13世紀のイベリア半島において、ユダヤ教徒、とりわけ宮廷ユダヤ人の知恵と財産は、キリスト教勢力がイスラム掃討運動を有利に進める中で必要不可欠なものだった。そして両者は常に緊張と対立、そしてキリスト教徒による一方的な迫害が散発し続けながらも「ギリギリの共存」を図っていったと筆者は考えている。
しかし、ユダヤ教徒の教義とキリスト教徒の教義には、根本的に相容れないことは言うまでもない。なにしろ、キリスト教のいわば一丁目一番地である「ナザレのイエスはキリスト(救世主)である」との教義を、ユダヤ教徒は受け入れられないのだ。
両者の間に横たわるこの絶対的な断絶について、この時代のキリスト教社会はどうやって折り合いをつけていたのか。これについて示唆のある一つの有名なエピソードがある。ご存知の方も多いと思うが改めてここで触れてみたい。宗教論争「バルセロナ討論」だ。(出典:「スペインのユダヤ人」関哲行他著)
1263年、アラゴン王ハイメ1世(1213年~1276年)はユダヤ人ラビ(宗教的指導者)「ナフマニデス」と、コンベルソ(ユダヤ教からキリスト教への改宗者)のドミニコ会士「パブロ・クリスティアーニ」の間で「バルセロナ討論」と呼ばれる宗教討論を開催した。主たる論点は以下の二つだ。
「ナザレのイエスはメシア(救世主)か」
「メシア(救世主)はすでに到来しているのか」
いずれもキリスト教の根幹をなす大前提である。旧約聖書に到来が示された救世主はイエスの顕現に結実し、神との契約は更新されたとするのがキリスト教の出発点だ。
バルセロナ討論において、ナフマニデスはこのいずれも否定する。
「メシア(救世主)がすでに到来しているのであれば、世界がいまだに不正と暴力に満ち溢れているはずがない」
あまりに舌鋒鋭くパブロを論破するナフマニデスの姿勢に、むしろユダヤ教徒の方が共同体への迫害を恐れ、ナフマニデスに自重するよう求めたと伝わる。現代に生きる筆者でもナフマニデスの主張にこうして触れるのを思わずためらいたくなるほど、彼のキリスト教に対する主張は容赦ない。