このような議論が11世紀のイベリア半島において、キリスト教社会の主催で開催されたこと自体大きな驚きといえる。もちろん主催者はこの討論によりユダヤ教徒がイエスによる救済に目覚めて、「自発的」にキリスト教に改宗することを期待したはずだ。
しかし、バルセロナ討論は望むような形で終わらなかった。だからといってこの論争をきっかけに後世で起きるような悲惨なユダヤ教徒への大迫害は起きなかった。両者の間には「ギリギリの共存」が辛うじて継続した。なぜか...
イベリア半島諸王国はユダヤ教徒を国王隷属民として管理し、様々な宮廷業務-とりわけ資金調達業務に従事させた。これはユダヤ教徒の金融業としては「ホールセール」にあたる。その内容は単なる融資や貸付とは異なるものだった。それが「徴税請負人」である。
「金(ゴールド)」の発見という初期ビジネスモデル仮説が頓挫した中、トーマス・スマイスをはじめとするヴァージニア会社の投資家と経営者はどうしたのか。現代のスタートアップ用語でいうならば、どうハードピボット(事業転換)したのか。その行方を追う。
株式会社は経済資源の最適配分と成果の最適分配を実現し得るのか?日本でも深刻化している貧困問題や行き過ぎた格差が社会を不安定にするものであるならば、解決策は「ポエム的」株式会社論ではなく、会社法及びそれに関連する法律の改正でなくてはならない。