信はただ嘘をつかない、正直である、といったナイーブなものではありません。より戦略的、戦術的に築くものです。それを援護するのが、「智(知)」ですし、さまざまな情報を集めて分析して自分のものにしていく活動、つまり学問にあるのです。
子曰(略)好仁不好學、其蔽也愚、好知不好學、其蔽也蕩、好信不好學、其蔽也賊(以下略)
子曰わく(略)仁を好みて学を好まざれば、其の蔽や愚。知を好みて学を好まざれば、其の蔽や蕩(とう)。信を好みて学を好まざれば、其の蔽や賊(ぞく)。(以下略)
(巻第九 陽貨第十七)
この言葉が指摘しているのは次のようなことでしょう。
・仁だけを重視して学問をないがしろにすると、愚かな決断をしてしまう
・知だけを重視して学問をないがしろにすると、ブレブレになってしまう
・信だけを重視して学問をないがしろにすると、人として間違った道へ迷い込む
孔子のこの言葉には、続けて直、勇、剛についても、学問をないがしろにすると誤った方向へ行ってしまうことを戒めています。
仁は、正しい道を示してくれるはずの根本的な考え、信念といってもいいのですが、これに固執すると愚かな決断になりやすいことは歴史が証明しています。仁に根ざした行動をしなければ、人として生きて行く価値はないとしても、その行動は人間であるからこそ選択可能であるはずで、その選択はその人の責任においてなされるのです。運命論的に、仁のせいにすることはできません。
仁/義に基づいてビジネスすることは、硬直した思考でただひたすら突き進むことではありません。むしろより柔軟に、常に学びながら広い視野と複数の選択肢を持ってビジネスを進めていくことなのです。
※『論語』の漢文、読み下し文は岩波文庫版・金谷治訳注に準拠しています。
文・舛本哲郎(ライター・行政書士)