ロシアのプーチン大統領は2022年2月に「ミンスク合意はウクライナが放棄し、履行すべきことは何も残っていない」として軍事侵攻に乗り出した。しかし、ロシア軍による侵攻は完全に失敗しており、「ミンスク合意」に基づく和平交渉の再開に応じる可能性がある。
問題はウクライナだ。ゼレンスキー大統領は11月15日にインドネシアで開催された20カ国・地域(G20)首脳会議(サミット)のビデオ演説で「3度目のミンスク合意はあり得ない。ロシアは合意後すぐにまた違反するだろう」と、ミンスク合意に基づく和平交渉を全面否定した。
「東部の親ロシア派支配地域に特別な地位を与える恒久法の採択」に強く反発したものと思われる。ゼレンスキー大統領は、紛争当初こそ「侵攻が始まった2月24日のラインまで取り戻せばいい」と表明していた。だが、戦況が有利に傾いた8月には「クリミアを占領から解放する必要がある」と宣言しており、クリミア問題を棚上げにしたミンスク合意よりも踏み込んだ発言をしている。
ミリー議長の発言は、こうしたウクライナの強硬姿勢にくぎを刺したと思われる。実はクリミアがウクライナ領になったのは意外と新しく、1954年のことだ。当時は同じソ連邦だったロシアからウクライナに移管された。日本で言えば、伊豆諸島が静岡県から東京都へ移管されたような感覚だったようだ。
元々、クリミアにあったのはオスマン帝国の属国「クリミア・ハン国」で、1783年にエカチェリーナ2世治世下のロシア帝国が併合している。18世紀の終わりまで、クリミアはロシア人のものでもウクライナ人のものでもなかったのだ。
住民の多くはクリミア・タタール人だったが、ロシア人やウクライナ人の大量移民で19世紀初頭には少数民族となった。1944年にはスターリンの命令で、約20万人のクリミア・タタール人が中央アジアやシベリアに強制移住させられている。2001年時点の人口構成はロシア人が58.5%、ウクライナ人が24.0%、クリミア・タタール人が10.2%だ。