ついに米国から事実上の「和平勧告」がウクライナに向けて発せられた。米軍制服組トップのマーク・ミリー統合参謀本部議長が11月16日(現地時間)の記者会見で、ウクライナとロシア双方に決定的な勝利は期待できず「交渉は、自分が強く、相手が弱い時に臨むものだ」と、ロシアとの和平交渉を促した。
ミリー議長は「ロシアがウクライナを征服するという戦略的目標を達成する可能性はゼロに近い」としながらも、「クリミアを含めたウクライナ全土からロシア軍をすぐに追い出せる可能性は高くない」と分析。このままでは紛争が長期化するため、ウクライナ軍がヘルソンとハリコフをロシア軍から奪還して勢いがある今のうちにロシアとの和平交渉に取りかかるべきだとの見解を示した。
ミリー議長が和平交渉に言及したのは、現地の厳しい冬に入ると軍事行動が難しくなることや、紛争の影響でロシアからの天然ガスや石油の供給が滞っている問題が念頭にあるのだろう。欧州の冬も厳しく、冬季のエネルギー不足は市民生活に深刻な影響をもたらす。
10月12日のロシアによるウクライナ4州の併合を無効とする国連総会決議は賛成143カ国で採択されたが、ウクライナ紛争の長期化で「支援疲れ」の声も聞かれるようになった。積極的にウクライナを支援している英国でさえ、最新の世論調査では物価高による生活難から「ウクライナ支援を減らして、英国人への支援を増やすべき」との回答が4割近かったという。
早期の紛争解決がウクライナやロシアだけでなく、世界全体にとっても有益なのは間違いない。が、問題は和平交渉の「落とし所」だ。ミリー議長の発言を「額面通り」受け取れば、「クリミアを除くウクライナ領からロシアが撤退する」になる。
つまり2015年に独仏ロとウクライナの4カ国協議でまとめたが履行されなかった「ミンスク合意」の実現だ。具体的には「ウクライナ東部での包括的な停戦」「ウクライナからの外国部隊の撤退」「ウクライナ政府による国境管理の回復」「東部の親ロシアは支配地域に特別な地位を与える恒久法の採択」などだ。
ロシアのプーチン大統領は2022年2月に「ミンスク合意はウクライナが放棄し、履行すべきことは何も残っていない」として軍事侵攻に乗り出した。しかし、ロシア軍による侵攻は完全に失敗しており、「ミンスク合意」に基づく和平交渉の再開に応じる可能性がある。
問題はウクライナだ。ゼレンスキー大統領は11月15日にインドネシアで開催された20カ国・地域(G20)首脳会議(サミット)のビデオ演説で「3度目のミンスク合意はあり得ない。ロシアは合意後すぐにまた違反するだろう」と、ミンスク合意に基づく和平交渉を全面否定した。
「東部の親ロシア派支配地域に特別な地位を与える恒久法の採択」に強く反発したものと思われる。ゼレンスキー大統領は、紛争当初こそ「侵攻が始まった2月24日のラインまで取り戻せばいい」と表明していた。だが、戦況が有利に傾いた8月には「クリミアを占領から解放する必要がある」と宣言しており、クリミア問題を棚上げにしたミンスク合意よりも踏み込んだ発言をしている。
ミリー議長の発言は、こうしたウクライナの強硬姿勢にくぎを刺したと思われる。実はクリミアがウクライナ領になったのは意外と新しく、1954年のことだ。当時は同じソ連邦だったロシアからウクライナに移管された。日本で言えば、伊豆諸島が静岡県から東京都へ移管されたような感覚だったようだ。
元々、クリミアにあったのはオスマン帝国の属国「クリミア・ハン国」で、1783年にエカチェリーナ2世治世下のロシア帝国が併合している。18世紀の終わりまで、クリミアはロシア人のものでもウクライナ人のものでもなかったのだ。
住民の多くはクリミア・タタール人だったが、ロシア人やウクライナ人の大量移民で19世紀初頭には少数民族となった。1944年にはスターリンの命令で、約20万人のクリミア・タタール人が中央アジアやシベリアに強制移住させられている。2001年時点の人口構成はロシア人が58.5%、ウクライナ人が24.0%、クリミア・タタール人が10.2%だ。
そうした歴史的に複雑な経緯もあり、クリミアが歴史的経緯から見てウクライナ領かどうかは、欧米諸国でも議論が分かれる。ミリー議長がウクライナに「当面はクリミア問題を棚上げにしろ」と説得するのも、単なる「妥協」と言い切れない。
現実的な「落とし所」はミンスク合意に加えて、ウクライナのNATO加盟を認める代わりにクリミアの帰属問題を先送りにすることだろう。ロシアは安全保障上の脅威になるとしてウクライナのNATO加盟は絶対に認めなかったが、ここまで戦況が悪化すれば早期終戦のためにギリギリ妥協できる範囲かもしれない。
ウクライナにとってはNATOに加盟することで、ロシアが第3次世界大戦の開戦を決意しない限り、二度と軍事侵攻を受けるリスクはなくなる。とは言え、勝ち戦を打ち切るのは負け戦を終わらせるより難しい。日露戦争後のポーツマス条約で日本は北緯50度以南の樺太割譲や遼東半島の租借権移譲を勝ち取ったものの、ロシアから賠償金を得られなかったとして世論は猛反発。日比谷焼打事件などの暴動が起こり、第1次桂内閣が総辞職に追い込まれた。
ゼレンスキー大統領もクリミア奪還を棚上げすれば、間違いなくウクライナ世論の猛反発を受ける。だが、紛争が長期化してロシア軍が再び攻勢に出れば、「なぜ、戦況が有利なうちに和平交渉をしなかったのか」と批判されることになるだろう。ウクライナには「政治」ではなく「歴史」という観点からの英断が求められている。
文:M&A Online編集部
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