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新五千円札の津田梅子が創設した津田塾大学、ゆかりの経済人は?

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津田塾大学(東京都小平市)

新五千円札の顔となった津田梅子。彼女が設立した津田塾大学は「女の東大」と呼ばれる超名門校だ。政界や官界、学界、文化人で数多くの優秀な人材を送り出している。もちろん経済界も例外ではない。津田塾が生んだ女性経営者は幅広い業界で活躍している。

今野由梨ダイヤル・サービス社長

学芸学部英文科卒。男女雇用機会均等法が施行される遥か前の1960年代初めに、採用面接で「(結婚・出産で退職せず)定年まで働いて社長を目指します」と答えたのが災いして、就職に失敗したという。

1964年に渡米。ニューヨーク万博の日本館広報担当者として働いたのを皮切りに、欧米各国の女性創業社長と面会し、起業家を目指す。欧米で電話秘書サービスを知り、帰国後の1969年にダイヤル・サービスを設立する。

安田生命保険と西武百貨店、味の素、東芝商事などによる「赤ちゃん110番」や、森永乳業の育児相談サービス「エンゼル110番」、トヨタ自動車の子供を対象にした悩み事相談「子ども110番」など、スポンサーを募って一般向けに電話相談サービスを提供するビジネスモデルで成長した。

そのきっかけとなったのは、1970年代初頭に多発したコインロッカーに新生児を遺棄する事件。これを受けて、望まない妊娠をした若い女性の相談に乗る「赤ちゃん110番」を立ち上げた。これがマスメディアに大きく取り上げられて電話が相次ぎ、会社があった日本電信電話の代々木電話局の電話回線がつながらない状態になったという。現在の「社会課題型ビジネス」の走りとも言える。

戦後における女性起業家のパイオニアでもあり、民間の有識者として政府税制調査会や金融審議会、電気通信審議会、産業構造審議会などの審議委員として50回以上にわたって活躍した。現在も同社社長として経営に当たっている。

八丁地園子元日本航空社外取締役

学芸学部数学科卒。日本興業銀行の採用試験では「定年まで勤める」と答えて面接官に大笑いされたが、無事に採用。当時はまだ均等法の施行前だったが、14歳年上の今野とは対照的な結果となった。

入行後は経済がどのように回っていくのかをモデル化したり、企業や業界がどうなっていくかを推測したりするモデルの構築に従事した。1986年の均等法施行を受けて、男性と同じ総合職に転換。単身赴任した英国証券子会社のIBJ International Plc.副社長を皮切りに、興銀リース執行役員などを歴任した。

介護退職を経て藤田観光で常務、日新製鋼や日本航空、ダイセル、マルハニチロなど幅広い業界で社外取締役として活躍している。57歳で明治大学で経営学修士(MBA)を取得。津田塾大学学長特命補佐・戦略推進本部長として母校にも貢献した。

上岡美保子トマト銀行社外取締役

学芸学部英文学科卒。日本貿易振興会に入り、岡山貿易情報センター所長、スウェーデン・ストックホルム事務所所長などを歴任して定年退職。国際経験が評価され、2013年にトマト銀行社外取締役に。同行初の女性取締役となった。

女性活用の先進国であるスウェーデンで勤務したこともあり、男女共同参画推進の講演会などで講師を務める機会も多い。

2015年に岡山県倉敷市で開かれた「日本女性会議2015倉敷」で実行委員長を務めるなど、社会課題の解決にも精力的に取り組んでいる。2016年には岡山大学監事に就任しており、地元の岡山県で活躍している。

南場智子ディー・エヌ・エー会長

学芸学部英文学科卒。 マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク・ジャパンで2年間勤務したが、あまりの多忙さで精神的にも肉体的にも追い込まれて退職し、ハーバード・ビジネス・スクールに留学。「自信を取り戻すために」3人目となる女性パートナー(役員)として、マッキンゼー日本支社に復帰した。

担当したプロジェクトを次々と成功させたが、中でもマルチメディア系新規事業のコンサルティングで世界最先端のITビジネスの実態を知り、まだ日本ではなじみの薄かったインターネット・オークションでの起業を考えるようになる。

マッキンゼーでの3年間のパートナー勤務を経て、1999年にディー・エヌ・エーを設立。社長に就任した。パソコンでのネットオークションでは鳴かず飛ばずだったが、携帯電話向けのモバイル・オークション・サイトの「モバオク」で成功。2003年に黒字化を果たす。

その後はモバイルに特化し、広告やゲームなどの事業で大成功を収めた。2011年に夫の病気介護のためCEO(最高経営責任者)を退任し、代表権のない取締役に。2017年に代表取締役に復帰。2021年には女性初の日本経済団体連合会副会長に就任した。

飯野晃子プレマ社長

学芸学部英語英文学科卒。父親が農業生産法人を経営していたことから、東京大学大学院農学生命科学研究科に進学。大学院でインドの有機農業について研究し、小規模な農家でも有機農業は可能だと確信したという。

大学院で修士号を取得後にナチュラルハウスに入社し、オーガニック原料や伝統製法にこだわった健康食品の開発やマーケティング、プロモーションなどに従事する。その2年後に退職し、「心と体を癒す食事・ヒーリングフード」の研究に取り組む。講演やセミナー、イベントなどの啓発活動を展開した。

2013年に父親が経営する農業生産法人の役員として入社。2013年には日本ヒーリングフード協会を設立した。2015年にプレマを設立し、社長に就任。土壌のケアにも配慮した有機農法「リアルオーガニック」で栽培した小松菜などを栽培している。2022年にはプレマフーズを創業し、パートナー産地の有機農法食品の販売もスタートした。

文:糸永正行編集委員

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