G7広島サミットが開かれている広島市。各国首脳が一堂に会し、マスメディアの取材陣の世界中から集まる−さながら「日本の首都」の様相を呈している。しかし、現実に広島が「首都」だったことがあるのだ。
それは日清戦争が勃発した1894(明治27)年のこと。当時すでに電信網は敷設されていたが、戦場と遠く離れていては迅速な意思決定ができないとして、9月8日に大本営が東京から帝国陸軍第5師団本部が置かれていた広島市中心部の広島城に移転した。
戦場に近づけるなら九州の方が良さそうなものだが、当時は東京や大阪とつながっている鉄道の終点が広島駅だったことや軍港の宇品港(現在の広島港)が整備されていたこともあって、広島市に大本営が移転したのだ。
同15日に軍の大元帥だった明治天皇が広島市に入り、当時の国会である帝国議会も同市で開かれることになった。
大本営が置かれた広島城に離接する練兵場内で、設計から竣工まで20日余りの突貫工事により「広島臨時仮議事堂」を建設。10月18日に第7回帝国議会が開かれた。国会が東京以外で開かれたのは、この1回だけだ。こうして首都機能が広島市に移った。

明治天皇は1895(明治28)年5月30日まで広島市に滞在し、日清戦争の終結を受けて帰京。227日間にわたって広島市に首都機能が置かれたことになる。その後、広島臨時仮議事堂は帝国陸軍の施設として再利用されたが、1898(明治31)年に取り壊された。
広島大本営の建屋は1928(昭和3)年に軍から広島県に管理が移ったのを機に史跡として一般開放されたが、1945年8月の原子爆弾の被爆により倒壊する。人類史上初の原爆投下により、広島市の首都機能の痕跡は完全に消滅したのだ。

文:M&A Online
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