「医療崩壊」の現場を体験 『感染列島』が教えてくれたこと

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新型コロナウイルスの感染が全国に広がる中、10年前のパニック・ムービーが静かな話題を呼んでいる。瀬々敬久監督の映画『感染列島』は患者の生命を守ろうと未知のウイルスに挑む医療関係者の苦悩と矜持を描いた力作だ。

『感染列島』のあらすじ

時は2011年1月、日本に悪魔のウイルスが舞い降りた。第1号の患者は救命救急医・松岡剛(妻夫木聡)が勤務する東京・いずみ野市の病院に担ぎ込まれ、感染は瞬く間に院内に広がった。病院の医師や看護婦らはWHO(世界保健機関)から派遣された感染症の専門家、小林栄子(壇れい)とともに、“Blame”と名付けられた悪魔のウイルスと対峙する。しかし、打ち手がないまま医療崩壊が現実のものとなり、やがて感染は日本列島全土に広がっていく。果たして人類は未知のウイルスとの闘いに勝てるのか。

映像で「医療崩壊」を実感する

街中で続々と増える感染者。治療の順番待ちで病院の前に列をなす人々。自らの感染の恐怖を抑え込み、職責を果たそうとする医師や看護婦。院内は戦場の様相を呈していた。人工呼吸器が足りなくなる。医師らは助かる可能性が高い患者を優先的に治療するトリアージに踏み切る。手を尽くしても、亡くなる患者はあとを絶たない…。新型コロナウイルスの感染拡大で一般に知られる言葉となった「医療崩壊」の意味するところを、映像から実感できる。まさに迫真の描写である。

人類とウイルスの闘いの歴史に学ぶこと

感染の「終息」という言葉には、ウイルスを完全に制圧したとの意味が込められているという。過去の歴史において、ウイルス感染を完全に封じ込めた例は極めて少ないとされる。松岡とともに南の島国を訪れ、悪魔のウイルスの起源を突き止めようとする老医師・仁志稔(藤竜也)は、ウイルス悪玉論と完全制圧の現実性に疑問を呈し、人類がウイルスと巧みに折り合いをつけながら暮らしていく方向に希望を見出す。本作のメッセージとも言える部分である。

映画の中で悪魔のウイルスは“Blame”と名付けられるが、その意味は「神の責め苦」だという。感染症に対する我々の価値観を一変してしまう”神”のような存在を感じずにはいられない。

感染列島

<作品データ>
『感染列島』
出演:妻夫木聡、檀 れい、国仲涼子、田中裕二(爆笑問題)、池脇千鶴、カンニング竹山、金田明夫、光石 研、キムラ緑子、嶋田久作、正名僕蔵、ダンテ・カーヴァー、馬渕英俚可 、小松彩夏、三浦アキフミ、夏緒、太賀、佐藤浩市(友情出演)、藤 竜也
脚本・監督:瀬々敬久
音楽:安川午朗
主題歌:レミオロメン
撮影:斉藤幸一
照明:豊見山明長
美術:金勝浩一
配給:東宝
2009年/日本/カラー/ビスタサイズ/ドルビーデジタル/2時間18分
(C)2009 映画「感染列島」製作委員会

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