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行田足袋蔵 縮小する市場と再生する蔵|産業遺産のM&A

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牧野本店の工場・土蔵を活用した「足袋とくらしの博物館」

1社1ブランドが支えた足袋産業

「足袋」の町というよりむしろ「足袋蔵」の町としてPR?

今日、日本全国どの伝統産業も大きな岐路に立っている。復活・再生する伝統産業もあるが、その一方で衰退の一途をたどり、やがてすたれてしまう伝統産業もあるだろう。行田足袋も例外とはいえない。日本の足袋産業全体の市場がしぼんでいくなかで、多くの業者が会社・店舗をたたんでいる。

だが、行田足袋は多くの業者が会社・店舗をたたむなかでも、独特の「のれん分け」を生かして、伝統産業として根づいてきた。行田足袋は伝統産業として日本一の生産量を誇るようになっても、企業統合による大企業化、いわゆる旧来型のM&Aによる集約はほとんど行われなかった。

むしろ、そうしたM&Aとは逆に、牧野本店・牧禎商店のようにのれん分けを進め、数多の足袋商が林立・共存するスタイルでの産業振興の道を選んできたのである。そのため、販売網も統一するのではなく、牧野本店は青森の八戸であるように、それぞれの足袋業者が独自に販売網を築いた。

全国シェア8割を誇った昭和初期、行田の足袋業者はそれぞれが独自ブランドを持つようになった。その数は200を超えるともいわれた。一極集中した巨大ブランドが産業を支えるのではなく、数多のブランドが群雄割拠することで産業を支えたのである。

しかし、現在は5社ほどが生産を続けている状態だという。行田足袋が伝統産業として潰えなかったのは、大企業化、一極集中をせずに、分散し、かつ協働してきた成果だということができる。そして足袋市場全体が縮小するいま、行田足袋の生産量は全国シェアにおいて優位ではあるものの、「足袋」の町というより「足袋蔵」の町といったほうがふさわしい状態になっている。

かつてM&Aでは、それこそ大手の合併や買収などが大きなニュースになっていたが、今は、小さな町工場の事業承継や事業再生も大きな役割として位置づけられるようになった。行田足袋の業者を見渡せば、イサミコーポレーションのように、もともと明治後期に足袋の製造からスタートし体育衣料品、学生の制服分野に進出した例もある。もともと行田足袋はそれぞれの業者が独自性を発揮しつつ協働化してきただけに、新たな活路も見出せるのではないだろうか。

 文:M&A Online編集部

M&A Online編集部

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