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行田足袋蔵 縮小する市場と再生する蔵|産業遺産のM&A

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牧野本店の工場・土蔵を活用した「足袋とくらしの博物館」

窮地にあって見い出された新たな価値

そんな足袋蔵のいくつかを見て歩こう。まず、足袋製造業者として一時代を築いた牧野本店。「足袋とくらしの博物館」の資料によると、牧野本店が足袋をつくり始めたのは1874年のこと。順調に商売を広げ、1900年代に入り3棟の足袋蔵を持つようになった。大正期には白足袋の製造を始め、木造洋風建築の工場や店舗兼母屋も新設した。昭和期に入り、足袋産業の全盛期には工場を建て増し、「力弥たび」のブランドで青森県八戸市を中心にビジネスを拡大していく。

だが、牧野本店にも伝統産業につき物ともいえる難局が訪れた。産業そのものの衰退、従業員の高齢化、後継者不在などである。地域産業の中心的な存在であったであろう牧野本店も、これらのハードルを乗り越えることはできず、2005年4月に会社をたたみ、約130年の歴史の幕を閉じた。

現在、足袋蔵歩きのメインポイントでもある「足袋とくらしの博物館」は、この牧野本店の工場・土蔵を活用した施設である。埼玉県の助成もあり、2005年10月にNPO法人ぎょうだ足袋蔵ネットワークが博物館としてオープンさせた。

現在はレンタルスペース、アーティストシェア工房、藍染体験工房となっている牧禎舎

もう1つ、現在はレンタルスペース、アーティストシェア工房、藍染体験工房となっている牧禎舎も見てみよう。行田市広報誌によると、牧禎舎はもともと牧野本店から独立した牧禎商店という店の事務所兼住宅、工場だった。牧禎商店の創業は地元足袋業界のなかでは遅く、1940年ごろ。日中戦争のさなか、足袋をはじめ被服商として事業をスタートした。

ところが、牧禎商店も後継者難や従業員の高齢化、足袋産業の衰退には打ち勝てなかったようだ。1970年代後半に工場は埼玉応化という会社に貸与するようになり、店をたたむことを決意した。そして、創業者が亡くなったあと、遺族がこの事務所兼住宅の有効活用をNPO法人ぎょうだ足袋蔵ネットワークに持ちかけた。

その結果、工房・レンタルスペースとして2010年にスタートしたのが牧禎舎である。ちなみに、牧禎舎の名称は牧禎商店創業者の遺族が命名したものだという。創業者亡きあと、事業をたたんでも、その遺志は継承されていったのである。

そのほか、武蔵野銀行行田支店も足袋関連の業者が活用していた建造物である。武蔵野銀行行田支店は忍貯金銀行店舗として1934に竣工したが、戦時中に行田足袋元売販売という会社が建物を買収した。戦後は足袋組合の施設である足袋会館となり、現在の武蔵野銀行行田支店となったのは1969年のことである。

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