諮問委員会は、主に2つの点でコロンブスのビジネスプランにケチをつけた。一つは距離をめぐる問題だ。諮問委員会は、仮に西回り航路でインドにたどり着けたとしても、コロンブスの計画の3倍は距離が長く、時間もかかると分析した。
距離と期間を見誤れば、必要な食料や水の積載量など(≒必要投資額)も読み違えることになる。ゴールに到達するまでに飢え死にしてしまうだろう。失敗すれば大西洋に金塊をばらまくような、この馬鹿げた投資を実行したスペインは、他国からの笑いものだ...
前回のコラムでは、コロンブスがその初航海の途上でカトリック両王に送ったとされる書簡について触れた。そして、彼の航海には真のスポンサー「ルイス・デ・サンタンゲル」という宮廷ユダヤ人がいたことに触れた。今回はまず彼の出自とその業務を確認しよう。
ユダヤ教徒は貿易業などの本業を営みつつ、多角化の一環として金融業を早くから営んでいた。ユダヤ教徒の金融業の発展過程とその背景について書いてみたい。キーワードは「宮廷ユダヤ人」だ。そして舞台はイベリア半島(現在のスペインとポルトガル)である。
米国経済の本質的根幹をなすのは起業家精神ではないか。少なくとも米国人は本音ではそう思っているのではないか。さもなくばデュアルクラスのような仕組みを制度として市場が許容することの説明がつかない。では、こうした起業家精神の源流は一体なんなのか。