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【文化学院】文芸(文学・芸術)教育が目指した“見果てぬ夢”|産業遺産のM&A

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銘板が蔦に隠れる文化学院のアーチ型の門(東京都千代田区)

大正デモクラシーに沸く1920(大正9)年のことだった。大正、昭和を代表する教育者・実業家であり、建築、絵画、陶芸などでも知られる西村伊作が、真の学校教育を実践する場として東京神田駿河台(千代田区)に土地を求めた。

その後、軽井沢(長野県)に避暑に集っていた歌人の与謝野寛・晶子、女性解放運動家であり評論家の河崎なつ、画家であり美術評論家の石井柏亭などの文学や芸術を生業とする「文芸家」らと西村の間で、明治期の因襲から解き放たれた「新教育を実践する学校を創設しよう」という話が持ち上がった。まさに、大正デモクラシーを文芸教育において実践する学校構想だった...

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