新潟県長岡市に「摂田屋」という土地がある。特定の家・屋号のことではなく、長岡市にある地名だ。
この摂田屋は中山道の高崎宿(群馬県)から寺泊宿(新潟県)を結び上杉謙信の関東遠征の際にも利用された旧三国街道に面し、新潟の中でも古くから酒や味噌、醤油などの醸造が盛んな地域だった。
ちなみに摂田屋の語源は「接待屋」だといわれている。旧三国街道を行き交う人々の休憩所があり、集落で接待したことに由来するようだ...
八ツ沢発電施設群。建設したのは明治後期から昭和期にかけて首都圏の電力を担っていた東京電燈という電力会社。八ツ沢発電施設群は明治後期の1910年頃、同社が水力電気事業の一環として建設した。
亀崎に1788(天明8)年、創業したのが清酒『敷嶋』で知られた伊東合資会社だ。もちろん創業当時は合資会社といった会社組織はなく、伊東孫左衛門という酒造家が始めた清酒敷嶋という酒蔵であったようだ。
鳥羽市は真珠のミキモト、御木本幸吉の生誕地。養殖真珠を事業として成立させた御木本は、その事業発祥の地である島を購入し、真珠島と名づけた。島は現在、博物館・記念館などを擁する観光地となっている。
依佐美送信所は愛知県依佐美村(現刈谷市)に建設された世界最大級の大電力無線送信所であった。その設計・施工には当時、日米間に海底電信線を敷設することを目的に設立された日本無線電信が深く関わっている。日本無線電信とは、日本でラジオ放送が開始された1925年、日本無線電信株式会社法の成立によって設立された特殊会社である。