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【東京海上ホールディングス】積極果敢なクロスボーダーM&Aで海外売り上げ拡大
国内の3大メガ損保の一つである東京海上ホールディングス。同社のM&Aの特徴は、2001年から翌年にかけての東京海上保険と日動火災保険の統合すなわち国内においての統合と、その後におけるクロスボーダーM&Aにある。近年加速させているクロスボーダーM&Aを中心に見てみる。
昭和の名建築がまた一つ姿を消す。日本を代表するオフィス街、東京・丸の内で最初に建てられた超高層ビル「東京海上日動ビル」が建て替えに伴い、10月から解体工事に入る。現ビルは地上25階建て・高さ約100メートル。その昔、「高すぎる」などとして、美観論争を巻き起こしたことがある。
東京駅から皇居外苑を結ぶ行幸通りを進むと、和田倉門の交差点。東京海上日動ビルはその一角に立つ。レンガ色の格子状の外壁が特徴だ。戦後の日本建築界の巨匠、前川國男(1905~86)が設計を手がけた。
完成は1974年。東京海上火災保険(現東京海上ホールディングス)の本店ビルとして建てられ、50年近くとなる。老朽化などにより、隣接する新館(16階建て)と一体で再開発する。
新本店ビルは地上19階建て・高さ約100メートル(延床面積約12万5000平方メートル)で、2028年度の完成を目指している。設計はイタリアの著名建築家レンゾ・ピアノ氏と三菱地所の設計子会社が担当する。
建て替えに伴い、東京海上ホールディングス、東京日動火災保険、東京海上日動あんしん生命保険の本社機能は「常盤橋タワー」(東京・大手町)に6月末までに順次移転した。
現在の東京海上日動ビルをめぐって歴史的に知られるのが美観論争。1960年代後半のことだ。
東京・丸の内は戦前から、皇居周辺にふさわしい品格と落ち着きのある街並みを形成するため、建物の高さが31メートル(100尺規制)に制限されていた。同じ高さの建物が整然と並ぶ様子は「丸の内スカイライン(輪郭線)」と呼ばれていた。ここに当時、一石を投じたのが東京海上の新本店ビルだったのだ。
当初計画では30階建て・高さ130メートル。「美観を損なう」「皇居を見下ろすことになるのは不敬」などの異論が噴出。国会でも取り上げられる事態に発展し、国民的な関心を呼んだ。最終的に5階分を削り、低くすることで決着した。
実は31メートルの高さ制限自体は1963年の建築基準法の改正で緩和されていた。こうした流れの中、日本最初の超高層ビルとして36階建て・高さ147メートルの「霞が関ビル」が誕生したのは1968年のことだ。
東京海上ホールディングスは現本店ビルについて、その歴史的価値を明らかにし後世に伝えるため、有識者の協力を得て、記録調査と継承方法の検討を行うことにしている。
東京海上の本店ビルで思い出されるのが1970年代後半から80年代にかけ、大人気を呼んだ刑事ドラマ「Gメン‘75」(主演丹羽哲郎ら。TBS放映)。特殊潜入捜査班(Gメン)の活躍を描く作品だが、毎回、映し出されるのがレンガ色の超高層ビル。そのGメン本部が置かれたのは当時完成したばかりの東京海上ビルという設定だった。
文:M&A Online編集部
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国内の3大メガ損保の一つである東京海上ホールディングス。同社のM&Aの特徴は、2001年から翌年にかけての東京海上保険と日動火災保険の統合すなわち国内においての統合と、その後におけるクロスボーダーM&Aにある。近年加速させているクロスボーダーM&Aを中心に見てみる。