埼玉銀行とのせめぎ合い

建築中の本店ビル。予定どおりの竣工には新型コロナ対応も大きな課題

かつて埼玉県には埼玉銀行(本店:さいたま市)という有力な銀行があった。1878年に設立された第八十五国立銀行を源流とする。第八十五国立銀行は明治期から戦前にかけて県内の中小金融機関のM&Aを重ね、1943年に埼玉銀行として新立合併した。埼玉銀行となってからも県内の中小金融機関のM&Aを重ねていった。

ところが1991年から1992年にかけて、埼玉銀行に大きな転機が訪れた。明治期から昭和初期にかけて数多の貯蓄銀行(個人の貯蓄を引き受けることを主目的とする金融機関)を集約した日本貯蓄銀行を前身とする協和銀行と対等合併したのである。協和埼玉銀行となったが、その後、あさひ銀行と改称するとともに、本店を東京に移転した。

武蔵野銀行から見れば、県内にあった老舗格の銀行の本店が東京に移り、県内唯一の有力地銀になったわけである。その後、あさひ銀行は2003年に大和銀行と合併してりそな銀行となる際に、埼玉りそな銀行として分離され、本店を浦和に定めた。ちなみに、埼玉りそな銀行は、地銀ではなく都市銀行の位置づけである。

同じさいたま市にある大宮と浦和。他県でも県内に複数の中核的な都市があることが県経済の発展には欠かせないといわれてきたが、それは同県内にある複数の都市は互いをライバルとして競い合ってきた証でもある。

大宮と浦和でも、人口・経済・文化・スポーツ・環境など複数の分野・取り組みで競い合っている。2000年代に入り、その競争の1つに金融という分野が加わったということができるだろう。

武蔵野銀行としては埼玉県を離れずに県民とともにあること、すなわち「県民の銀行」であることをアピールする。だが一方で、埼玉りそな銀行とは店舗網が重複するケースもあった。支店の整理・統廃合とともに、実現してはいないが武蔵野銀行と埼玉りそな銀行の経営統合の動きもあったようだ。