「社会の進歩」が変えてしまう「時間」と「人間」の切ない話

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死んでもなお誰かのための自分でありたい

ひどい大雨でとても船など渡せそうにない夜。マタギの仁平(永瀬正敏)がトイチの小屋を訪ねる。トイチの船もよく利用してくれていた、仁平の父(細野晴臣)が亡くなったという。本人の強い希望で森にその亡骸を置きに行くいう仁平。手伝ってほしいと頼まれたトイチと少女は、悪天候の中船を出す。仁平の父の願いの真意を聞き、トイチの心には尊敬の念が沸き起こる。

仁平の父や、容体が悪化する父を診察するため、はるばる村へ足を運んでいた町医者(橋爪功)など、誰かのために何かができる人を「立派な人だ」と慕うトイチの心は美しい。「俺も誰かのための自分になりてぇ」。呟くトイチと同じく、この世に生を受けたからには誰かのために何か役に立ちたいと願う人は多いだろう。死んでもなおそうあろうとした仁平の父の穏やかな死に顔に、涙がこみ上げずにはいられない。

トイチと源三、対等だった二人の上下関係の切なさ

良く言えばおおらか悪く言えば少し頭が弱い源三と、トイチのやりとりは、ほっこりと胸を温かくする。貰い物の芋だの味噌だの持ち込んで、トイチの掘っ立て小屋の傍で火をおこし「一緒に食べよう」と料理を始める源三に、貸し借りはなしだ、とトイチも食料を提供する。それに対して、トイチさんのおかげで豪華だなぁ、と源三はヘラヘラ笑う。

しかし、そんな対等だった二人の関係も、橋の完成により変わってしまう。慕っていたトイチを上から目線でこき使う源三は別人のようだ。「橋なんて完成しなければいいのに」そう呟いていた頃と変わらず、トイチの味方なのは少女だけかもしれない。

しかし、変化を受け入れながらも違和感を覚えているのはトイチや少女だけではない。橋の上でトイチと再会した仁平がポツリと漏らす言葉は、人間味に溢れている。その言葉に観る人は、トイチと同じく口元を緩めずにはいられないだろう。果たして、弱者は食い物にされるしかないのか、そんな訴えも感じられる。

場面展開の早いハリウッド映画や、アクション超大作にはない独特の魅力が光る本作

贅沢すぎるほどゆっくり、たっぷりと時間が使われる。最初は、展開や動きの遅さに違和感を覚えるかもしれないが、物悲しさすら感じる物語なのに、ラストまで心穏やかに観ていられるのはそのためだろう。変化がますます早まる今、私たちは、あまりに忙しなく日々を過ごしてはいないだろうか。エンドロールまでじっくり観てほしい。ある船頭に思いを寄せるひと時は、かけがえのない特別なものになるはずだ。

文:宮﨑 千尋(映画ライター)

《作品データ》
タイトル:ある船頭の話
9月13日(金)より新宿武蔵野館ほか全国公開
脚本・監督:オダギリ ジョー
出演:柄本明、川島鈴遥、村上虹郎/伊原剛志、浅野忠信、村上淳、蒼井優/笹野高史、草笛光子/細野晴臣、永瀬正敏、橋爪功
撮影監督:クリストファー・ドイル
衣装デザイン:ワダエミ
音楽:ティグラン・ハマシアン
配給:キノフィルムズ
公式サイト:http://aru-sendou.jp

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