「社会の進歩」が変えてしまう「時間」と「人間」の切ない話

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フランスの著名な映画批評家、アンドレ・バザンは言っています。「映画の美学は現実を明らかにするリアリズムであるべきだ。」と。

映画とは、各時代を映し出す、鏡の一つと言えるかもしれません。そしてその鏡は、私たちが生きる現代を俯かんして見るための手助けともなるのではないでしょうか。

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『ある船頭の話』

映画『ある船頭の話』は、オダギリ・ジョーの初監督作品。俳優として海外でも積極的に活動をしてきたオダギリのもとに、グローバルな才能が集結した。撮影監督に巨匠クリストファー・ドイル、衣装デザインは黒澤明監督の『乱』(85)で米アカデミー賞を受賞したワダエミ、世界的ジャズピアニストであるティグラン・ハマシアンが音楽を担当する。

主演の柄本明はもちろん、あの人がこんなところに?! と驚くような、ほんのわずか登場させるだけではあまりに豪華すぎる俳優陣にも注目だ。オダギリが10年間封印してきた、監督業への熱い思いが、いよいよ解き放たれる。

【映画『ある船頭の話』のあらすじ】

船頭のトイチ(柄本明)は、村と町を繋ぐ川渡しを生業にしている。毎日客を船に乗せて行き来し、トイチを慕う源三(村上虹郎)と時々過ごす。川辺に建てた掘っ立て小屋での慎ましい一人暮らしだ。

トイチの日常を脅かすように、山奥深くの村にも文明開化の波が押し寄せつつあった。川上では大きくて立派なレンガ造りの橋が建設されている。トイチの船に乗る様々な人々も、「橋ができれば行き来が便利になる」「生活しやすくなる」と口々に橋の完成を心待ちにしている様子だ。

内心複雑な気持ちながらも黙々と、こちらとあちらを渡し続けるトイチの船に、何かがぶつかる。流れてきたのは怪我をした一人の少女(川島鈴遥)だった。意識が戻っても、言葉も発さずぼんやりとトイチが船を渡すのを眺めているだけの少女に「好きなだけいればいい」と、トイチはしばし様子を見てやることに決める。

時同じくして、トイチは川上の村で起こった奇妙な惨殺事件の噂を聞く。橋の完成はじわじわと迫り、やがてその日を迎える。橋の誕生、そして少女と過ごすうちにトイチの人生は大きく狂わされていく。“本当に人間らしい生き方とは何か”を世界に問う問題作。

【映画『ある船頭の話』のみどころ】

私たちの社会のように忙しない乗客と穏やかな時間のギャップ

ジャバー、ザバー、トイチが船に水をかけて準備をする様子が、しばし延々と続く冒頭数分間。そんなトイチの姿に、なんて穏やかな時間なのだろうとのんびりスクリーンを眺めていると一転、川岸からカンカンカンというけたたましい音と、男が「おーい、船頭! 早くしろー!!」とトイチを呼び急かす大声が響く。船を寄せる間も悪態を吐き続ける男に、トイチは微笑を浮かべ、腹を立てる様子もなく静かにせっせと船を漕ぐ。

途中で源三も乗せてやり、さらに時間がかかったことで男のイライラは最高潮に達する。橋の建設に携わっているらしい男は、トイチを見下し、降りる時にはお金を船に投げつける始末だ。時代の波に乗ることは、心を少し失くしてしまうことなのだろうか。男の姿に、日々に追われる自分たちの片りんを見るようで、悲しい気持ちになる。

死んでもなお誰かのための自分でありたい

ひどい大雨でとても船など渡せそうにない夜。マタギの仁平(永瀬正敏)がトイチの小屋を訪ねる。トイチの船もよく利用してくれていた、仁平の父(細野晴臣)が亡くなったという。本人の強い希望で森にその亡骸を置きに行くいう仁平。手伝ってほしいと頼まれたトイチと少女は、悪天候の中船を出す。仁平の父の願いの真意を聞き、トイチの心には尊敬の念が沸き起こる。

仁平の父や、容体が悪化する父を診察するため、はるばる村へ足を運んでいた町医者(橋爪功)など、誰かのために何かができる人を「立派な人だ」と慕うトイチの心は美しい。「俺も誰かのための自分になりてぇ」。呟くトイチと同じく、この世に生を受けたからには誰かのために何か役に立ちたいと願う人は多いだろう。死んでもなおそうあろうとした仁平の父の穏やかな死に顔に、涙がこみ上げずにはいられない。

トイチと源三、対等だった二人の上下関係の切なさ

良く言えばおおらか悪く言えば少し頭が弱い源三と、トイチのやりとりは、ほっこりと胸を温かくする。貰い物の芋だの味噌だの持ち込んで、トイチの掘っ立て小屋の傍で火をおこし「一緒に食べよう」と料理を始める源三に、貸し借りはなしだ、とトイチも食料を提供する。それに対して、トイチさんのおかげで豪華だなぁ、と源三はヘラヘラ笑う。

しかし、そんな対等だった二人の関係も、橋の完成により変わってしまう。慕っていたトイチを上から目線でこき使う源三は別人のようだ。「橋なんて完成しなければいいのに」そう呟いていた頃と変わらず、トイチの味方なのは少女だけかもしれない。

しかし、変化を受け入れながらも違和感を覚えているのはトイチや少女だけではない。橋の上でトイチと再会した仁平がポツリと漏らす言葉は、人間味に溢れている。その言葉に観る人は、トイチと同じく口元を緩めずにはいられないだろう。果たして、弱者は食い物にされるしかないのか、そんな訴えも感じられる。

場面展開の早いハリウッド映画や、アクション超大作にはない独特の魅力が光る本作

贅沢すぎるほどゆっくり、たっぷりと時間が使われる。最初は、展開や動きの遅さに違和感を覚えるかもしれないが、物悲しさすら感じる物語なのに、ラストまで心穏やかに観ていられるのはそのためだろう。変化がますます早まる今、私たちは、あまりに忙しなく日々を過ごしてはいないだろうか。エンドロールまでじっくり観てほしい。ある船頭に思いを寄せるひと時は、かけがえのない特別なものになるはずだ。

文:宮﨑 千尋(映画ライター)

《作品データ》
タイトル:ある船頭の話
9月13日(金)より新宿武蔵野館ほか全国公開
脚本・監督:オダギリ ジョー
出演:柄本明、川島鈴遥、村上虹郎/伊原剛志、浅野忠信、村上淳、蒼井優/笹野高史、草笛光子/細野晴臣、永瀬正敏、橋爪功
撮影監督:クリストファー・ドイル
衣装デザイン:ワダエミ
音楽:ティグラン・ハマシアン
配給:キノフィルムズ
公式サイト:http://aru-sendou.jp