1938年4月、鉄道会社やバス会社の整理統合を政策的に促進しようという陸上交通事業調整法が公布された。東京郊外の交通事業は、①中央線以南、②中央線と東北線の間、③東北線と常磐線の間、④常磐線以南の4ブロックに分けて調整されることになり、第1ブロックには、小田原急行鉄道、東京横浜電鉄、京浜電気鉄道、京王電気軌道、相模鉄道などがあった。交通事業調整委員会の特別委員でもあった五島慶太は、東京横浜電鉄を中心に京浜電気鉄道、小田原急行鉄道、京王電気軌道を統合するという構想を描いていた...
渋谷と吉祥寺を結ぶ京王井の頭線。営業距離はわずか12.7kmだが沿線の人気は高く、1日に360~370万人ほどの旅客が乗り降りする。この京王井の頭線の成り立ちには1920年代から繰り広げられた東急、小田急など東京郊外の私鉄の合併劇があった。
阪神・阪急の経営統合の真のねらいは、旅客輸送のシェアを高めるJR西日本に対抗して、阪神・阪急がJR包囲網を築くことにあった。その対象は、不動産・百貨店・ホテルなど、阪神・阪急の兼業部門にも及ぶ。