【京王井の頭線】戦前の合併劇に揺れた東京郊外の路線(後編)

※この記事は公開から1年以上経っています。
alt
HAYABUSA / PIXTA(ピクスタ)

大東急の誕生と解体を経て生まれた京王井の頭線

1938年4月、鉄道会社やバス会社の整理統合を政策的に促進しようという陸上交通事業調整法が公布された。東京郊外の交通事業は、①中央線以南、②中央線と東北線の間、③東北線と常磐線の間、④常磐線以南の4ブロックに分けて調整されることになり、第1ブロックには、小田原急行鉄道、東京横浜電鉄、京浜電気鉄道、京王電気軌道、相模鉄道などがあった。交通事業調整委員会の特別委員でもあった五島慶太は、東京横浜電鉄を中心に京浜電気鉄道、小田原急行鉄道、京王電気軌道を統合するという構想を描いていた...

この記事は会員専用です。
無料会員に登録して、今すぐ続きをチェックしよう!
会員登録をする(無料)

NEXT STORY

アクセスランキング

【総合】よく読まれている記事ベスト5