【鉄道の資本移動の歴史】その4 日光の観光開発と東武鉄道の輸送独占

前回は、東武鉄道と東上鉄道の合併の背景には、東武伊勢崎線の西新井駅と東上線の上板橋駅を結ぶ西板線を敷設して両鉄道をつなぎ、経営の合理化をはかるという根津嘉一郎の意図があったことを述べた。しかし、根津がもっとも大規模な資本統合を実施したのは、日光の観光開発にからむ買収劇であった。

日光には、徳川家康を祀った華麗な東照宮と輪王寺、二荒山神社など貴重な史跡が豊富に存在し、それをとりまく自然美も美しかった。そのため、1934年12月には国立公園に指定され、日本でも有数の観光地となった。そして、その背後には、東武日光線開業後の東武鉄道による日光の鉄道輸送網支配があった。

東京・日光を最短距離で結ぶ東武日光線の開業

東武鉄道は、1900年代後半には国際的な観光地として知られる日光への乗り入れを計画しており、館林~佐野~葛生~鹿沼~日光間の鉄道敷設を考えていた。そのため、1912年3月に佐野鉄道(葛生~佐野~越名河岸間)を合併し、同年8月の臨時株主総会で葛生~鹿沼間の鉄道敷設を決定した。

この計画は第一次世界大戦期における物価高騰の影響を受け頓挫した。だが、新たに伊勢崎線杉戸駅(現・東武動物公園駅)から分岐し、幸手、栗橋、藤岡、栃木、家中、鹿沼、今市を経て日光にいたる東武日光線の敷設を計画し、1929年10月1日に開業させた。

開業式は、日光東照宮前で挙行された。東武日光線は、同伊勢崎線の杉戸駅で分岐して東北に向かってほぼ直進し、栃木から栃木県の県庁所在地である宇都宮を経ずにまっすぐ鹿沼に出るため、東京から日光にいたる距離を国鉄日光線よりも大幅に短縮することができた。すなわち、国鉄上野~日光間の距離は146.4㎞であったが、東武鉄道の浅草~東武日光間の距離は135.5㎞で、11.1㎞ほど短かったのである。

現在の東武日光駅の駅舎

さらに奥日光に延びる日光登山鉄道の設立

根津は1927年3月、華厳滝、中禅寺湖、男体山、戦場ヶ原、湯元など奥日光の開発をめざし、日光登山鉄道(資本金200万円)を設立するなど、日光の輸送網の整備を進め、東武日光線の開業を契機にこうした動きを加速させた。

日光登山鉄道は、1932年8月に馬返~明智平間の鋼索鉄道(ケーブルカー)を開業し、33年2月には明智平~展望台間の架空線(ロープウェイ)を敷設し、11月から営業を開始した。1945年1月、日光登山鉄道は企業整備により日光軌道に合併された。

日光いろは坂の中腹・明智平から延びるロープウェイ