1941年6月28日、すでに喜寿を迎えていた利光鶴松は小田急電鉄の社長を辞任し、後継社長には副社長の利光學一が就任した。學一についてはすでに述べたところであるが、社長在任期間はわずか2か月半に終わった。利光鶴松が、五島慶太に小田急電鉄の社長に就任するよう要請したからである。五島はさすがに即答を避けたが、9月20日に社長となった。
五島と利光は、京浜電気鉄道の買収をめぐって浅からぬ縁があった...
渋谷と吉祥寺を結ぶ京王井の頭線。営業距離はわずか12.7kmだが沿線の人気は高く、1日に360~370万人ほどの旅客が乗り降りする。この京王井の頭線の成り立ちには1920年代から繰り広げられた東急、小田急など東京郊外の私鉄の合併劇があった。
阪神・阪急の経営統合の真のねらいは、旅客輸送のシェアを高めるJR西日本に対抗して、阪神・阪急がJR包囲網を築くことにあった。その対象は、不動産・百貨店・ホテルなど、阪神・阪急の兼業部門にも及ぶ。