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【京王井の頭線】戦前の合併劇に揺れた東京郊外の路線(後編)

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HAYABUSA / PIXTA(ピクスタ)

五島の社長就任を見届けて逝った利光鶴松

1941年6月28日、すでに喜寿を迎えていた利光鶴松は小田急電鉄の社長を辞任し、後継社長には副社長の利光學一が就任した。學一についてはすでに述べたところであるが、社長在任期間はわずか2か月半に終わった。利光鶴松が、五島慶太に小田急電鉄の社長に就任するよう要請したからである。五島はさすがに即答を避けたが、9月20日に社長となった。

五島と利光は、京浜電気鉄道の買収をめぐって浅からぬ縁があった。五島慶太は、東京高速鉄道と東京地下鉄道の合併を画策していたが、東京地下鉄道の専務(のち社長)早川徳次の妨害を受けていた。

五島は京浜電気鉄道の買収を企てたが、このとき利光鶴松が同社の会長で湘南電気鉄道の社長であった望月軍四郎に掛け合って、五島による京浜電気鉄道の買収を実現させた。京浜電気鉄道の買収によって、同社と東京地下鉄道との合弁会社であった京浜地下鉄道も掌握することになったので、実質的に東京地下鉄道を支配することができたのである。

なお、利光鶴松は、五島に小田急電鉄の社長を譲るとまもなく、終戦間近の1945年7月、81歳の生涯を閉じた。

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渋谷と吉祥寺を結ぶ京王井の頭線。営業距離はわずか12.7kmだが沿線の人気は高く、1日に360~370万人ほどの旅客が乗り降りする。この京王井の頭線の成り立ちには1920年代から繰り広げられた東急、小田急など東京郊外の私鉄の合併劇があった。