東武鉄道と東上鉄道の合併 【鉄道の資本移動の歴史】その3

 東武東上線は、東武鉄道による東上鉄道の吸収合併によって生まれた。そのねらいは何か?

東武鉄道と東上鉄道の合併

 東京の副都心・池袋から埼玉県の川越を経て寄居まで、東武東上線という私鉄の路線が走っている。東武鉄道の一路線ではあるが、東武本線と切り離されて埼玉県西部の通勤路線として機能している。

 ここで注目したいのは、東武東上線は最初から東武鉄道の路線であったわけではないということである。東上鉄道という会社がこの路線を経営していたのであるが、1920(大正9)年9月、東武鉄道によって吸収合併されて東武東上線となったのである。

 ただし、東上鉄道の社長も、東武鉄道と同じ根津嘉一郎という人物であった。根津は、経営不振で悩む東武鉄道を引き受けてみごとに立て直し、「鉄道王」と呼ばれるようになっていた。東上鉄道の設立を申請したのは、東京府北豊島郡上練馬村の富農で、村会議員や村長を務めたことのある上野伝五右衛門らであったが、1911年11月の創立総会で根津が取締役社長に就任したのである。

 その根津が、第一次世界大戦後の1920年に、自ら社長を務める東武鉄道と東上鉄道の合併を企てたのである。ここでは、東武鉄道と東上鉄道の合併を企てた根津の意図を、当時の社会経済史的な背景を踏まえながら考えてみたい。

第一次世界大戦後のインフレで経費削減を狙った合併

 1920年4月28日、根津嘉一郎は鉄道大臣・元田肇あてに「東武東上合併認可申請書」を提出する。その申請書には東武鉄道と東上鉄道の合併を必要とする理由について、つぎのように述べていた。

「東武鉄道及東上鉄道ハ共ニ相近接シタル地方鉄道ニシテ、且ツ経営者モ同一ニテ之レヲ合併スルニ於テハ営業上諸般ノ経費モ節約シ得ラルヽノミナラズ機関車、諸車輛使用上ニモ多大ノ便宜アリ、従ッテ諸般ノ改良ヲ図ルニ利スル処多キニヨル」

 このように根津は、東武鉄道と東上鉄道を合併し、営業経費を節約し、機関車・諸車輌の使用に便宜をはかろうと考えていた。なお、この合併は東武鉄道による東上鉄道の吸収合併で(合併比率は2対1)、1920年9月に鉄道大臣の認可を経て東上鉄道の権利義務の一切が東武鉄道に継承された。

 第一次世界大戦後、諸物価が高騰するなかで、路線の近接する東武、東上両鉄道を合併して経営の合理化をはかろうという意図はよくわかる。しかし、冷静に考えてみると、東上鉄道と東武鉄道の路線は、近接してはいるが、つながってはいない。合併をしたからといって、経費の節約、機関車・諸車輌の使用に便宜をはかるという、根津の意図は実現できるのかという疑問がわいてくる。

●東武鉄道の現在の路線網

(東武鉄道ホームページより)