東京郊外鉄道の工事施工は1930年12月に認可され、1931年6月に着工となった。資金不足のなかで工事は難航したが、1933年8月に渋谷~井の頭公園間が開業した。
この間、東京市は1932年10月1日に東京市制を施行し、荏原郡、豊多摩郡、北豊島郡、南足立郡、南葛飾郡など隣接5郡を東京市域に編入した。東京郊外鉄道の沿線も市域に編入されたので、「郊外」という社名が実情にふさわしくなくなった。そこで、1933年1月の臨時株主総会で、東京郊外鉄道は社名を帝都電鉄と改称した...
渋谷と吉祥寺を結ぶ京王井の頭線。営業距離はわずか12.7kmだが沿線の人気は高く、1日に360~370万人ほどの旅客が乗り降りする。この京王井の頭線の成り立ちには1920年代から繰り広げられた東急、小田急など東京郊外の私鉄の合併劇があった。
阪神・阪急の経営統合の真のねらいは、旅客輸送のシェアを高めるJR西日本に対抗して、阪神・阪急がJR包囲網を築くことにあった。その対象は、不動産・百貨店・ホテルなど、阪神・阪急の兼業部門にも及ぶ。