渋谷と吉祥寺を結ぶ井の頭線という京王電鉄<9008>の路線がある。営業距離はわずか12.7km、所要時間は各停で30分、急行ならば20分にすぎない。しかし、沿線の吉祥寺、下北沢などは人気の高い街で、1日に360万~370万人ほどの旅客が乗り降りしている。この京王井の頭線の成り立ちには、1920年代から繰り広げられた東京郊外の私鉄の合併劇があった。今回は、そのあたりの事情を追ってみよう。

東京山手急行電鉄、渋谷急行電気鉄道の設立

東京で山手線が環状運転を開始したのは1925年11月であるが、その4年前の1921年9月に、さらにその外周にもう1本環状線を敷設しようという計画があった。鉄道会社の名前は東京電気鉄道といい、東海道線の大井町駅を起点に、平塚、碑衾、目黒、駒沢、世田谷、代々幡、和田堀内、杉並、中野、野方、落合、長崎、板橋、西巣鴨、巣鴨、滝野川、尾久、三河島、千住、南綾瀬、隅田、寺島、吾嬬、小松川、亀戸、大島、砂町を経て西平井町の州崎にいたる延長42.2kmの路線である(その後、計画路線は若干修正されている)。

この計画は、関東大震災(1923年9月)に遭遇したこともあって頓挫したが、出願者を代えて1926年12月、東京山手急行電鉄という社名で免許申請がなされ、翌27年4月に免許された。発起人には、利光鶴松、若尾璋八、太田光凞らの有力な実業家が名を連ねていた。利光は鬼怒川水力電気の社長で、小田急電鉄<9007>の創業者であった。また、若尾は東京電灯(現・東京電力)社長、太田光凞は積極経営で知られる京阪電気鉄道の社長であった。

東京山手急行電鉄の計画路線は、その後、若干修正され、大井町~馬込~池上~玉川~碑衾~駒沢~世田谷~松沢~和田堀~杉並~中野~野方~中新井~練馬~上板橋~板橋~西巣鴨~巣鴨~滝野川~州崎間50.6kmとなった。1928年7月に株式を公募したが、申込みは盛況であった。8月15日に第1回申込みを完了し、9月24日に創立総会を開催した。創立総会では、利光鶴松が取締役社長に就任した。利光は、すでに鬼怒川水力電気と小田原急行鉄道の社長であったので、山手急行電鉄も加えて3社の社長として敏腕を振るうことになった。

東京・多磨霊園にある小田急電鉄創業者・利光鶴松の像

一方、1928年1月には、渋谷~吉祥寺間の路線敷設をめざす城西電気鉄道が免許を獲得した。発起人の小早川常雄らは、渋谷~東村山間の東京郊外電気鉄道の設立を計画していたが、1927年4月に却下されたため、計画を改めて申請したのである。

城西急行電気鉄道は、1928年2月、社名を渋谷急行電気鉄道と改め、起業目論見書、定款などを作成し、7月に創立総会を開催した。創立総会では、菅澤重雄が取締役社長に就任した。渋谷急行電気鉄道は、1929年1月、東京帝国大学農学部構内から吉祥寺にいたる11.7kmの路線敷設を申請した。