資本統合を繰り返しながら路線距離最大となった大手私鉄・近畿日本鉄道(近鉄)。戦時統合で誕生した小さな鉄路が拡大していく過程を、2回に分けて追いかける。

日本の私鉄のなかで最長の営業キロを誇る

大阪難波~近鉄奈良間(難波線・奈良線)、大阪上本町~伊勢中川間(大阪線)、伊勢中川~近鉄名古屋間(名古屋線)、伊勢中川~賢島間(山田線・鳥羽線・志摩線)、大阪阿部野橋~吉野間(南大阪線・吉野線)、京都~橿原神宮前間(京都線・橿原線)などの路線をもつ近畿日本鉄道。営業キロは2017年3月末現在で508.1㎞。JRグループをのぞく日本の鉄道事業者(民営鉄道)のなかでは、もっとも長い路線を有している。ちなみに第2位は東武鉄道(463.3キロ)、第3位は名古屋鉄道(444.2キロ)である。

路線は大阪、京都、奈良、三重、愛知、岐阜の2府4県にまたがり、大阪~名古屋間、大阪~奈良~京都間などの直通高速の都市間輸送、大阪、京都、奈良、名古屋の各都市圏における通勤・通学輸送、伊勢志摩、吉野、奈良、京都などへの観光輸送、さらには地方都市や農村地域へのルーラルな輸送と、きわめて多様である。駅の数は294、客車の数は1960両、旅客輸送人キロは109億800万人キロで、私鉄中第3位(1位は東武鉄道の125億7700万人キロ、2位は東急電鉄の111億100万人キロ)である。

南海鉄道との統合、そして分離独立

近畿日本鉄道(近鉄)は、戦時下の1944年6月1日に関西急行鉄道(関急)と南海鉄道の合併によって誕生した。合併比率は1:1、資本金は2億3147万円であった。また、発足時の営業キロは639.3㎞(関急476.3㎞、南海鉄道163.0㎞)で、近鉄は誕生とともに全国で営業キロのもっとも長い私鉄となった。

関急の社長であった種田虎雄は、合併理由について「国家緊急の要請に基き、両社の輸送力を挙げて之を最高度に発揮し、以て国家戦力増強に寄与せんとするにある以外何物もない」(社内誌『親栄』1944年8月15日)と述べている。関急・南海の合併は両社の経営戦略によるものではなく、戦時期の交通統制という国家的要請によるものであった。資材不足が深刻化するなかで、経営を一元化し、資材・労力を重点的に配備し、輸送の万全をはかるというのが、資本統合の理由であった。

しかし、南海鉄道との統合は長くはつづかなかった。戦後の1947年6月1日に南海鉄道が近畿日本鉄道から分離独立した。旧南海鉄道の事業を傍系会社の高野山電気鉄道に譲渡し、高野山電気鉄道が南海電気鉄道と商号を変更したのである。したがって、現在の近畿日本鉄道は、基本的には旧関西急行鉄道の路線からなっているということができる。