佐世保市は経営危機に陥った佐世保重工業を救済するよう国に泣きついた。当時の福田赳夫首相や永野重雄日本商工会議所会頭、メインバンクだった日本興業銀行(現・みずほ銀行)の池浦喜三郎頭取が「再建王」として名高かった坪内寿夫氏に再建を委ね、1978年に来島どっくグループの傘下に入る。その来島どっくグループも1986年の円高不況で経営破綻し、佐世保重工業は再び独立する。
その後は韓国や中国の造船会社がシェアを伸ばし、日本の造船業は苦境に立たされた。大手造船会社は祖業の造船事業を縮小し、中堅・中小造船会社は大再編の時代に入る。佐世保重工業も2014年10月に株式交換方式で名村造船所<7014>の完全子会社化となり、東証1部の上場が廃止された。
佐世保重工業を買収した名村造船所は竣工量ベースで今治造船(愛媛県今治市)、ジャパン マリンユナイテッド(横浜市)に次ぐ国内造船3位のメーカーとなる。ロシア軍の攻撃を受けた貨物船名が「ナムラ・クイーン」なのも、親会社の「名村」から取ったものだ。
佐世保重工業は2017年3月期から赤字が続いており、2021年3月期には債務超過に陥った。2021年に約250人の希望退職を募ったほか、2022年1月には新造船事業を休止して船舶修繕事業に軸足を移す。2022年3月29日には名村造船所を割当先とする債務の株式化(デット・エクイティ・スワップ)を実施し、105億円の債務を削減して経営再建を進めていく。
親会社の名村造船所も2022年3月期に80億円の最終赤字を計上する見通しで、3期連続の最終赤字となる。親会社の経営不振は来島どっく以来の出来事。佐世保重工業には、さらなる「波乱万丈」が待ち構えているのかもしれない。
文:M&A Online編集部
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