ロシアに攻撃されたナムラ・クイーンの造船所「波乱万丈」な社史

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ロシア黒海艦隊(Photo By Reuters)

日本企業の所有する貨物船が、黒海を航行中にロシア軍から攻撃を受けた。日鮮海運(愛媛県今治市)系列の日興汽船(同)が所有する貨物船「ナムラ・クイーン」で、同船は被弾して火災を起こしたものの、タグボートに曳(ひ)かれて現場を離れたという。同船を建造したのは佐世保重工業(長崎県佐世保市)。実はこの会社、「波乱万丈」の歴史を乗り越えてきた。

前身は海軍工廠、民間払い下げで造船会社に

被弾した「ナムラ・クイーン」は、2020年に建造された長さ229m、幅38m、喫水6.9mのパナマックスサイズ(パナマ運河を通航できる最大船型)のばら積み貨物船。4万7146総トンで、載貨重量は8万5065トン。穀物用に七つの船倉を備え、1万3000馬力のディーゼルエンジンで航行する。

同船を建造した佐世保重工業の前身は佐世保海軍工廠。1889(明治22)年に佐世保鎮守府の佐世保造船部として産声を上げた。軽巡洋艦や小艦艇、補助艦艇の建造や艦船の修理・補給基地として活用され、終戦を迎える。

1946年に同工廠設備の3分の2を佐世保船舶工業(1961年に佐世保重工業に社名変更)が借り受けて造船を再開。敷地と施設は後に払い下げられた。しかし、これが「足かせ」となる。設備が古い上に造船所内のレイアウトも旧式で、新しい生産システムの導入が難しかった。

そのため、戦後に建設された競合他社の造船所に比べて生産性が低く、コストダウンが進まなかった。市場競争について行けず、業績は悪化する。

繰り返される経営危機と買収

佐世保市は経営危機に陥った佐世保重工業を救済するよう国に泣きついた。当時の福田赳夫首相や永野重雄日本商工会議所会頭、メインバンクだった日本興業銀行(現・みずほ銀行)の池浦喜三郎頭取が「再建王」として名高かった坪内寿夫氏に再建を委ね、1978年に来島どっくグループの傘下に入る。その来島どっくグループも1986年の円高不況で経営破綻し、佐世保重工業は再び独立する。

その後は韓国や中国の造船会社がシェアを伸ばし、日本の造船業は苦境に立たされた。大手造船会社は祖業の造船事業を縮小し、中堅・中小造船会社は大再編の時代に入る。佐世保重工業も2014年10月に株式交換方式で名村造船所<7014>の完全子会社化となり、東証1部の上場が廃止された。

佐世保重工業を買収した名村造船所は竣工量ベースで今治造船(愛媛県今治市)、ジャパン マリンユナイテッド(横浜市)に次ぐ国内造船3位のメーカーとなる。ロシア軍の攻撃を受けた貨物船名が「ナムラ・クイーン」なのも、親会社の「名村」から取ったものだ。

佐世保重工業は2017年3月期から赤字が続いており、2021年3月期には債務超過に陥った。2021年に約250人の希望退職を募ったほか、2022年1月には新造船事業を休止して船舶修繕事業に軸足を移す。2022年3月29日には名村造船所を割当先とする債務の株式化(デット・エクイティ・スワップ)を実施し、105億円の債務を削減して経営再建を進めていく。

親会社の名村造船所も2022年3月期に80億円の最終赤字を計上する見通しで、3期連続の最終赤字となる。親会社の経営不振は来島どっく以来の出来事。佐世保重工業には、さらなる「波乱万丈」が待ち構えているのかもしれない。

文:M&A Online編集部

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