筆者は聖書の専門家ではないが、これを素直に読む限り、新約聖書(イエスの教え)が金利を否定しているとは受け取れない。もし金利を否定するなら、タンス預金した者の行為を褒めこそしなくとも、否定はしなったはずだ。金利をもらって堕落するくらいなら、タンス預金でよいのだと。
いうまでもなく、このタラントのたとえは、のちのプロテスタントの「天職概念」にも関係している。主人を失望させたこのタンス預金した者が結局どうなったか。これも非常に示唆深い内容だが話が脱線するので触れない...
スペインに渡ったユダヤ教徒たちは、どのようにして経済的に自立し、定住したのか。そして、どのような経緯で、金融の発展に関わっていくことになるのか。今回から本題となるユダヤ教徒と企業金融(コーポレートファイナンス)の歴史について触れていきたい。
投資ファンドは「1株1議決権」を前提として、株主権を存分に行使してリターンの最大化を目指す。ある意味、米国株主資本主義を究極まで純化した存在といえる。その投資ファンドが自らは一般株主の権利を著しく制限する特殊な議決権構造を採用しているのだ。