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一神教と疫病とコーポレートファイナンスⅥ|間違いだらけのコーポレートガバナンス(17)

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理由2:ユダヤ教徒だけで資金需要を賄えたとは到底思えない

別の観点からも理由を述べよう。中世欧州におけるユダヤ教徒は「圧倒的マイノリティ」である。その中でも、金融業に進出できるほどの余剰資金を持った成功者はさらに限られたはずだ。

多くのユダヤ教徒は共同体の相互扶助の仕組みの中で、手に付けた職を生かして辛うじて日々を送っていたはずである。圧倒的マイノリティのユダヤ教徒の、またその中のほんの一部の成功者の余剰運転資金の運用だけで、キリスト教社会全体の資金需要をすべて賄えたとは到底思えない。

確かに、カトリック教会が権勢を誇った中世欧州は封建社会だ。商業を中心とする社会ではない。しかし、人の営みがある以上経済は動き、そこでは必ず一定規模の金融システムが必要だったと考えるほうが自然だ。ユダヤ教徒だけでは賄えない資金需要は、キリスト教徒による貸金業がこれを補ったと考えられる。

特にキリスト教徒による「例外特権的融資」。これは単なる筆者の仮説ではない。学術的な研究もなされている。スイスの歴史家でチューリッヒ大学の教授だったハンス・イェルク・ギロメン氏の学説では、カトリック教会が貸金業を規制したのは必ずしもキリスト教徒だけではないという。ユダヤ教徒に対しても、時代によって貸金業は規制されていた。

ただ「特権的な許認可」を得た者だけが貸金業を許されたとされている。そして、この特権的な許認可を受けたのは、ユダヤ教徒の富裕層だけではない。キリスト教徒の富裕層も含まれるという。
*参考:ユダヤ人高利貸像再考(ハンス・ギロメン1990)に対する論文評 佐々木博光 京都大学学術情報リポジトリ

また、こうした例外特権的に許認可を得たキリスト教徒による金融業以外にも、無許可営業によるものもある程度あったはずだ。お金の貸し借りの詳細を正確に補足することはとても難しいからだ。

テクノロジーと社会制度が高度に発展した現代でさえ、非公開企業の有利子負債の中身を正確に知るのは容易ではない。中世においては、当事者、特に債務者からの自白がない限り、まず不可能だろう。金融の道理から考えても「ユダヤ教徒だけが金融業を営んでいた」という説には無理がある。

理由3:ユダヤ教徒が金融業に特化するのはリスク分散で不合理

別の視点からもさらに理由を重ねよう。これまでにも触れたように、中世欧州のユダヤ教徒は常にキリスト教徒からの迫害に直面する危険な立場だった。

「ナザレのイエス」は「キリスト(メシア=救世主)」であるという宗教が、ローマの国教となってしまったのだ。「メシアはまだ現れていない。(イエスはメシアではない)」と考えるユダヤ教徒コミュニティに走った激震の大きさは容易に想像できる。

このような環境下で、常にキリスト教からの迫害の脅威にさらされていたユダヤ教徒の貿易商人が、「儲かるから」という理由だけで金融業に進んで特化していったという説は受け入れがたい。なぜなら、このような緊張関係にあって、ユダヤ教徒のキリスト教徒に対する貸付は常に「踏み倒される」リスクがあるからだ。そしてそれは実際に何度も起きた。

ユダヤ教徒の商人がビジネスマンとして賢明であれば、主業として貿易事業などを営み、あくまで余剰運転資金の運用として金融業を営んだはずだ。そして事業のポートフォリオを管理し、リスクを分散していたはずだ。

少なくとも紀元1000年頃までは、ユダヤ教徒が金融業を専業としていたというのは史実にも反する。彼らが金融業以外の事業を全面禁止されるという究極の迫害を受けるのは、もう少し後のことだ。これについても今後の稿でふれる。

「金貸しを神殿から追い出すキリスト」( ルーカス・クラナッハ )

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2020/08/09

スペインに渡ったユダヤ教徒たちは、どのようにして経済的に自立し、定住したのか。そして、どのような経緯で、金融の発展に関わっていくことになるのか。今回から本題となるユダヤ教徒と企業金融(コーポレートファイナンス)の歴史について触れていきたい。