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【大光銀行】功罪相半ばする創業者の横顔 ご当地銀行の合従連衡史

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長岡市大手通にある大光銀行本店(Photo by ビースタイル ギガワークス)

40年前の事件を乗り越えて……

大光銀行には無尽の時代に一度合併したほかは、目立ったM&Aはない。その後、頭取は旧大蔵省から招いていた。そして2019年6月、大光銀行はいわゆる生え抜きの石田幸雄氏が頭取となる。石田は乱脈融資事件以後の経営再建や1989年の普通銀行への転換、東京証券取引所への再上場など、節目ごとに中心的な役割を果たした人物だ。

その就任当時、石田は「40年前の事件から完全に払拭されるのではないか」と語ったという。確かに事件を払拭したかのように、営業姿勢も顧客重視へと変わった。1999年10月の新潟中央銀行の経営破綻後の営業譲受けも、大光銀行を中心を担っていた。現在は“あの事件”を乗り越え、着実に地域金融としての地歩を固めつつある。

駒形十吉の名誉のため、汚名返上の意味を込めて記すと、新潟県に限らず、どの地域でも、いわゆる「地元の名士」は功罪相半ばする存在である。

駒形の功績は芸術面、地域貢献の面で光るものがあった。1964年、国内で初めて「現代美術館」を標榜した長岡現代美術館を開設し、日本近代洋画の作品群「大光コレクション」を公開した。戦後有数の個人コレクションと称されている。その後、日本画や工芸の蒐集に努め、1994年には「駒形十吉記念美術館」を開設した。

今や全国区となった長岡まつり大花火大会も、その発案には駒形によるものだった。駒形は第二次大戦直後の長岡鉄道の経営不振時に市財界を束ねて協力し、その主導によって1945年8月1日の長岡空襲からの復興を願い、翌1946年8月1日に戦災復興祭を開催した。それが今日の長岡まつりとなり、長岡大花火大会となった。

文:菱田秀則(ライター)

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