50年前の夏、一冊の本が売れに売れた。本のタイトルは「日本列島改造論」。90万部を超えるベストセラーとなった。
著者は田中角栄(1918~1993)。田中が国会で首班指名されたのは1972(昭和47)年7月。戦後最年少で首相に就いた。沖縄返還を花道に長期政権にピリオドを打つ佐藤栄作首相の後継を争い、自民党内に派閥領袖が並び立った「三角大福」の中で、最も若く、時に54歳。
“今太閤”、“コンピューター付きブルドーザー”などと呼ばれ、その生い立ちや抜きん出た実行力から、国民的喝采を浴びて田中内閣が誕生した。
このひと月前、日刊工業新聞社から出版されたのが「日本列島改造論」(定価500円)。当時、田中は通産相(現経産相)。次期首相をうかがい、自民党総裁選に出馬する田中にとって、いわばマニュフェスト(政権構想)といえる一冊だった。政権発足によって増刷に次ぐ増刷を重ね、政治家の著作として空前の大ヒットを記録したのだ。
この1972年の年間ベストセラーは1位が「恍惚の人」(有吉佐和子著)で、190万部以上を売り上げた。2位、3位は宗教関係本。「日本列島改造論」は4位に入り、91万部に上った。5位「HOW TO SEX」(奈良林祥著)と続き、「坂の上の雲」(司馬遼太郎著)は9位だった。
過疎と過密を同時に解決するー。「日本列島改造論」はこのフレーズに集約される。戦後の高度経済成長で、都市への人口集中、公害問題、農村の過疎化などが深刻化。産業の再配置や列島各地を結ぶ高速道路・新幹線の整備によってヒトとモノの流れを変え、国土の均衡ある発展を目指すという内容だった
土地投機を招いたとの批判がある一方、東京一極集中の是正が今日なお課題となる中、その問題意識は注目に値するといえよう。
だが、翌1973年秋に起きた第1次石油危機を契機に列島改造ブームは後退。田中首相自身も金脈問題で政権を追われ、首相在任期間は2年5カ月にとどまった。その後、ロッキード事件に巻き込まれ、逮捕・起訴された。
それにしても、時の人の本がなぜ日刊工業新聞社から出ることになったのか。出版当時、通産相秘書官だった小長啓一氏(元通産事務次官、元アラビア石油社長)がその辺の事情を月刊誌に明かしている。
「…朝日から出せば読売が怒るし、読売から出せば産経に悪い、というのが田中さんの考え方で…」。そこで、専門的な新聞社の日刊工業に白羽の矢が立ったという。
「日本列島改造論」を巡っては版元の日刊工業が復刻本を検討したことがある。しかし、角栄氏の長女、田中真紀子氏(科技庁長官、外相、文科相など歴任)が首を縦に振らなかったという。
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文:M&A Online編集部
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