地銀の歴史を振り返るとき、多くは「明治期の国立銀行に端を発した」とか「県内有力私立銀行が昭和初期の一県一行主義のなかで大合同して誕生した」といったケースが多い。ところが、足利銀行の場合はそのようなことはなく、1895年に足利銀行として誕生し、現在も足利銀行として存立する。いわば、「生まれも育ちも足利銀行」なのである。
その歴史を振り返っておこう。同行ホームページの沿革を見ると、「1895年10月に栃木県足利町にて営業開始。1914年5月には東京支店を開設...
自己資本比率は16%を超え、銀行ランキング調査でも健全性の高さが際立つ山口銀行。その源流は1878年に創立した第百十国立銀行である。創立当初の本店所在地は山口市。だが、2年後には下関に本拠を移し、百十銀行、山口銀行として成長していく。
大分銀行は1892年12月に設立された。その後、大分貯金銀行、豊岡共立貯蓄銀行、豊岡実業銀行、別府銀行などを合併し、地域金融機関としての基盤を確固たるものとしたのは、1927年、二十三銀行を合併したことによるといっていいだろう。
“ご当地銀行”の合従連衡史の2回目は、沖縄。沖縄には琉球銀行と沖縄銀行の2つの有力地銀があるが、ここでは琉球銀行を取り上げよう。琉球銀行は現在の日本政策投資銀行、日本政策金融公庫のように、特殊法人の政策金融機関、特殊銀行として設立された。