だが、栃木県を代表する金融機関であり、多くの県内企業のメインバンクとしての底力が足利銀行を復活させた。破綻した、一時国有化されたといっても、県内企業にとっては唯一無二の欠くべからざる存在だったからだろう。
足利銀行は2008年4月に足利ホールディングスを設立し、その完全子会社となることで、特別危機管理から解放された。名を残したまま、復活の道を歩み始めたのである。
2015年11月に足利ホールディングスは常陽銀行との経営統合に関して基本合意を交わす...
自己資本比率は16%を超え、銀行ランキング調査でも健全性の高さが際立つ山口銀行。その源流は1878年に創立した第百十国立銀行である。創立当初の本店所在地は山口市。だが、2年後には下関に本拠を移し、百十銀行、山口銀行として成長していく。
大分銀行は1892年12月に設立された。その後、大分貯金銀行、豊岡共立貯蓄銀行、豊岡実業銀行、別府銀行などを合併し、地域金融機関としての基盤を確固たるものとしたのは、1927年、二十三銀行を合併したことによるといっていいだろう。
“ご当地銀行”の合従連衡史の2回目は、沖縄。沖縄には琉球銀行と沖縄銀行の2つの有力地銀があるが、ここでは琉球銀行を取り上げよう。琉球銀行は現在の日本政策投資銀行、日本政策金融公庫のように、特殊法人の政策金融機関、特殊銀行として設立された。