2008年9月に起きたリーマンショックは、日本の大手金融機関のみならず、全国の第二地銀にも大きな影響を与えていた。宮崎県の第二地銀、宮崎太陽銀行もその1つ。130億円の公的資金を注入されることになった。
第二地銀の源流は小さな無尽組織に始まり、やがて地域で力をつけ、相互銀行法の制定(1951年5月)に伴い相互銀行となった。さらに昭和から平成の転換期に進んだ相互銀行法の廃止(1992年6月)を受け、普通銀行への転換が進み、地域 “二番手”の普通銀行になっていく。これがオーソドクスなスタイルだ。
栃木県の地方金融機関の代表格は足利銀行である。帝国データバンク調査では県内占有率は47.4%。県内企業の約半数が足利銀行をメインバンクとしている。2003年の「足銀ショック」を経て、足利銀行と県内企業はどのような復活の道を歩んできたのか。
「都道府県魅力度ランキング」では6年連続最下位で、一見するとパッとしない茨城県。常陽銀行は、その茨城県内のトップ地銀として圧倒的な存在感を持つ。その特徴は十分には伝わっていないが、沿革・歴史を見ると豪快ともいえるM&Aを繰り返してきた。