では、米子(鳥取県)の明治期の金融動向も踏まえておこう。山陰合同銀行の前身である米子銀行は、1894年1月に設立されている。当時、米子には第八十二国立銀行(鳥取県)の米子支店がある程度だったので、地元商工業者にとって私立銀行の設立は強く要望されていた。そこで誕生したのが米子銀行だった。初代頭取は坂口平兵衛という資産家。「商都・米子」の基盤をつくり、特に製糸業の実業家という立場からその基盤を支えた人物として知られている...
栃木県の地方金融機関の代表格は足利銀行である。帝国データバンク調査では県内占有率は47.4%。県内企業の約半数が足利銀行をメインバンクとしている。2003年の「足銀ショック」を経て、足利銀行と県内企業はどのような復活の道を歩んできたのか。
山形銀行は第八十一国立銀行が源流で、その営業終了の際に両羽銀行が業務を継承し、両羽銀行は1965年に山形銀行と改称した。明治後期から昭和の中期までの両羽銀行時代は、まさにM&Aラッシュの時代だった。その躍進の背景には、同族経営があった。
“ご当地銀行”の合従連衡史の3回目は、青森。青森にはみちのく銀行と青森銀行の2つの有力地銀があるが、行員数、支店数などで、ほぼ互角の両銀行の歴史をたどっていくと、県内の主要都市である青森市と弘前市の“せめぎ合い”の歴史が感じられる。