グループ化を進めた山陰合同銀行

松江銀行と米子銀行が合併して山陰合同銀行となったのは、松江銀行が1934年 12月に松栄土地(現・松江不動産)を設立した5年余りのちの1941年7月のこと。本店は松江市に置き、以降は同年10月に石州銀行と矢上銀行を合併し、1945年3月に山陰貯蓄銀行を買収した。さらに、1991年 4月にはふそう銀行を合併している。

そうしたM&A以上に顕著なのは、新規会社の設立によるグループ化だった。「合同によって生まれた銀行」としては、“お家芸”といえるかもしれない。山陰合同銀行のディスクロージャー誌をもとに、グループ化の沿革を概観してみよう。

山陰合同銀行は1975年4月に山陰総合リースを設立し、1979年4月には山陰信用保証(現・ごうぎん保証)を設立した。1980年4月には合銀ビジネスサービスを設立し、1984年4月には合同クレジットサービス(現・ごうぎんクレジット)を設立、1996年 1月にはごうぎんキャピタルを設立した。

そのグループ化の選択と集中は、2000年代に入るとさらに磨きがかかる。2002年4月には山陰債権回収を設立し、2004年4月にはごうぎんクレジットサービスとごうぎんジェーシービーを合併し、ごうぎんクレジットに社名変更した(クレジットカード会員事業は2010年4月から銀行本体での取り扱いとなっている)。

そして、2015年2月にはごうぎん証券株式会社を設立。2016年には、4月に山陰オフィスサービスを存続会社としてごうぎんスタッフサービスを合併し、7月にはその山陰オフィスサービスがごうぎんシステムサービスと合併している。

それら新規設立会社(合併後の存続会社を含む)は現在、いずれも山陰合同銀行の連結子会社となっている。

文化振興にも積極的に

山陰合同銀行では、2009年7月に閉鎖した旧北支店について建物保存を目的として改修工事を施し、2012年9月に、ごうぎんカラコロ美術館をオープンした。

ごうぎんカラコロ美術館は、1926年9月に旧八束銀行本店として建築された鉄筋コンクリート造りの西洋風2階建て建造物で、銀行時代の重厚な柱や窓口カウンター、装飾などを残して生まれ変わった。展示内容は、1Fには洋画家・絹谷幸二の「日月双龍飛翔」をメインとして日本人画家による洋画を展示。2Fには、松江市出身の版画家・平塚運一をはじめ、同時代の日本人版画家の作品を展示している(山陰合同銀行プレスリリース2012.9.13より)。

松江大橋北詰に近い京橋川沿いに並ぶカラコロ工房とカラコロ美術館。周辺にカラコロ広場もある。ちょっと紛らわしいが、往時の金融街がその地にあったことを踏まえると、銀行建築の歴史とともに、小泉八雲が松江に遺した偉大さも感じられる。

2020年目標の“異種合同”は、地銀の新たな経営モデルになるか

山陰合同銀行では、新しい合同を進めている。それが、野村證券との提携による証券事業だ。2019年8月には、野村証券と島根県内の証券関連事業の統合を軸として業務提携することで合意。「2020年をメドに山陰合同銀行と子会社のごうぎん証券と、野村證券の証券関連業務を統合し、野村證券が顧客口座を一括管理する。山陰合同銀行では販売や顧客対応などを受け持ち、手数料収入を確保することで収益基盤の強化につなげる」とした(日経新聞2019.8.27より)。

低金利状態が続くなか、新たなビジネスチャンスを証券業務に見いだそうということだろう。

同紙では、「山陰合銀の取り組み次第では全国の地銀のモデルケースにもなりそうだ」とする。この動きには、野村證券の松江支店だけでなく、米子支店も加わるという。島根・鳥取両県の結節点で、新たな合同モデルが着実に進んでいる。

文・M&A Online編集部