松江銀行と米子銀行が合併して山陰合同銀行となったのは、松江銀行が1934年 12月に松栄土地(現・松江不動産)を設立した5年余りのちの1941年7月のこと。本店は松江市に置き、以降は同年10月に石州銀行と矢上銀行を合併し、1945年3月に山陰貯蓄銀行を買収した。さらに、1991年 4月にはふそう銀行を合併している。
そうしたM&A以上に顕著なのは、新規会社の設立によるグループ化だった。「合同によって生まれた銀行」としては、“お家芸”といえるかもしれない...
栃木県の地方金融機関の代表格は足利銀行である。帝国データバンク調査では県内占有率は47.4%。県内企業の約半数が足利銀行をメインバンクとしている。2003年の「足銀ショック」を経て、足利銀行と県内企業はどのような復活の道を歩んできたのか。
山形銀行は第八十一国立銀行が源流で、その営業終了の際に両羽銀行が業務を継承し、両羽銀行は1965年に山形銀行と改称した。明治後期から昭和の中期までの両羽銀行時代は、まさにM&Aラッシュの時代だった。その躍進の背景には、同族経営があった。
“ご当地銀行”の合従連衡史の3回目は、青森。青森にはみちのく銀行と青森銀行の2つの有力地銀があるが、行員数、支店数などで、ほぼ互角の両銀行の歴史をたどっていくと、県内の主要都市である青森市と弘前市の“せめぎ合い”の歴史が感じられる。