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としまえん きみはあの機械遺産に乗ったか|産業遺産のM&A

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精巧な美術工芸としての輝きを放つカルーセル・エルドラド

回転する木馬や馬車のように変わってきた経営主体

閉園・解体を控えたカルーセル・エルドラドには、どこか哀愁も漂う

カルーセルに象徴されるように、というと後づけになるが、カルーセル・エルドラドをシンボルとするとしまえんの経営も実は二転三転してきた。

閉園前の経営主体は株式会社豊島園。西武鉄道<9002>が100%出資する西武グループの会社である。所有者が西武鉄道で、(株)豊島園にはその運営業務を委託されている関係だろう。

もともと、としまえんは室町時代に築かれた練馬城の城址だったといわれる。その後、明治後期に豊島公園として整備され、大正期にはとしまえんの創業者である藤田好三郎が自邸を建てた。藤田は、のちに王子製紙となる樺太工業に役員として勤めていた実業家で、藤田はさらに周辺地域を購入していった。そして、造園家の力を借りて開園したのが「練馬城址 豊島園」だった。

だが、昭和期に入り、としまえんは現在のみずほ信託銀行の前身である安田信託銀行に売却された。以後、としまえんは安田家の私邸になり、その経営者も転々と変わっていった。

西武鉄道の〝遊具〟に!?

西武鉄道<9002>がとしまえんの経営に乗り出したのは1941年のこと。当時、西武鉄道は武蔵野鉄道と称し、としまえんを経営していた日本企業という会社を合併したことによる。

第2次大戦下、としまえんは閉園となったが、1946年に営業が再開された。1951年には経営主体である(株)豊島園を解散して西武鉄道が事業を引き継ぐことが決まった。だが、実際に(株)豊島園が解散し、その事業の継承を西武鉄道が始めたのは決定から10年以上経った1963年のことだった。

西武鉄道は1970年代に遊園地の関連事業を営むワンダーズという会社を設立し、同時期に遊園地資産の保有会社である武蔵野地所という会社を設立した。この武蔵野地所が新たに(株)豊島園を設立し、遊園地運営に当たらせた。ちょうど、カルーセル・エルドラドが稼働した頃、としまえんを運営する(株)豊島園は、西武鉄道の“意思決定の荒波”に揉まれていたことになる。

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西武グループのとしまえんが閉鎖となり、跡地利用にワーナー・ブラザーズが手を挙げています。閉鎖後はハリー・ポッターを中心としたテーマパークが誕生するとの観測が高まっています。としまえんの2019年3月期の純利益はわずか50万円でした。

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