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【名古屋鉄道】馬車鉄道から大手私鉄への成長の軌跡(前編)

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旧名鉄美濃町線美濃駅(蒼/写真AC)

愛知県と岐阜県の中京圏を経営基盤とする名古屋鉄道は、1935年8月1日に名岐鉄道と愛知電気鉄道の合併によって生まれ、今日では近畿日本鉄道、東武鉄道についで、日本の私鉄では3番目に長い444.2kmの路線網を擁する大手私鉄に成長している。ちなみに、2017年度における名古屋鉄道の乗降客数は、大手私鉄16社中10位の3億8,687万4,000人であった。

名古屋鉄道の起源は古く、愛知馬車鉄道の敷設が特許された1894年8月までさかのぼることができる。名古屋鉄道では1935年を設立年、1894年を創業年と位置づけている。したがって、名古屋鉄道は同社の設立から数えると84年、創業から数えると125年という長い歴史を有し、日本の私鉄の中でも指折りの老舗ということになる。

その名古屋鉄道の歴史を一言で表現すると、合併の歴史であったといえる。ここでは、愛知馬車鉄道の開業から名古屋鉄道の成立に至るまでの合併の歴史を、2回に分けてひもといてみよう。

愛知馬車鉄道から名古屋電気鉄道へ

1893年6月、名古屋市内に馬車鉄道を敷設することを目的に、愛知馬車鉄道の敷設特許の申請がなされた。馬車鉄道とは、軌道を走る車両を馬が牽引する鉄道で、鉄道のもっとも初期の形態といわれる。東京市電(のちの東京都電)も、馬車鉄道として開業している。愛知馬車鉄道が申請した路線は、名古屋駅前~県庁門前間および長野駅前~枇杷島間の名古屋市内線であった。

愛知馬車鉄道の敷設特許を申請したのは、小塚逸夫、岡本清三、堀尾茂助らの郡部出身の県会議員、および堀部勝四郎、服部小十郎、黒田茂助、山内正義ら名古屋市内在住の商人などであった。すなわち、愛知馬車鉄道は、郡部出身の愛知県政界の有力者と名古屋市内の商人によって設立されたといえる。ただし、その後は京都財界に資金を求め、電気事業経営の権威であった大澤善助らの協力を得ることになった。大澤の本業は時計製造業で、名古屋に工場を置いていた。

愛知馬車鉄道は、日清戦争が始まる直前の1894年3月に名古屋市笹島町~愛知県庁門前前、同市栄町~第三師団門前間、同市笹島町~西春日井郡枇杷島町間に馬車鉄道の敷設特許を得た。そして、同年6月8日に創業総会を開催して社長に小塚逸夫を選任し、25日に愛知馬車鉄道が設立された。

愛知馬車鉄道は、1895年4月5日には馬車鉄道から電気鉄道への動力変更を申請し、6月3日に認可され、6月19日に社名を名古屋電気鉄道と改称した。日本では、京都電気鉄道につぐ2番目の電気鉄道であった。名古屋電気鉄道では、大沢善助、松居庄七らの京都資本と名古屋商業会議所会頭の奥田正香に連なる事業家が台頭し、旧来の小塚らの農村素封家、県政治家は名古屋電気鉄道の経営から退場した。

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