
第一次世界大戦後の1920年3月、名古屋電鉄は運賃を4銭均一制にすべく、申請書を提出した。株価は、増資期待と市営化によって売却益が生じるのではないかという予測から漸騰し、1919年には50円払込の旧株が90~100円、25円払込の新株も60円台の高値をつけていた。1920年には、第一次世界大戦後の反動恐慌で市況は暴落したが、名古屋電鉄の株価は80円台を維持していた。
しかし、1920年6月に名古屋電鉄の那古野車庫が全焼し、市内線車両の約半数が消失するとい事件が起った...
「鉄道の資本移動の歴史」のスピンオフ企画。西武鉄道がかつて所有した休止線・廃線の「西武安比奈線」と「東京都水道局小河内線(俗にいう水根貨物線)」を訪ねてみた。
なぜ西武鉄道の設立記念日は、武蔵野鉄道が設立された1915年4月15日なのか。そこには武蔵野鉄道と旧西武鉄道との合併劇を主導した堤康次郎の存在が大きかった。