話を戻そう。鉄道建設が難しくなった東京山手急行電鉄と渋谷急行電鉄は、鬼怒川水力電気の傍系会社となり、利光鶴松が一手に掌握することになった。利光は両社を合併し、まずは渋谷急行電鉄の計画線を建設し、ついで東京山手急行電鉄の計画線の建設に着手することにした。
合併に際しては、東京山手急行電鉄を存続会社として渋谷急行電鉄をこれに合併することにし、社名を東京郊外鉄道に変更した。東京山手急行電鉄の計画線は環状線であったが、渋谷急行電鉄の計画線は放射状路線であったので、東京山手急行電鉄という社名のままでは渋谷急行電鉄の計画線にはふさわしくないと判断されたからである...