1929年から30年にかけて日本経済は深刻な不況に陥った。こうしたなかで、1928年10月に電気事業経営の許可を受けた東京山手急行電鉄は路線建設の準備に取りかかったが、建設資金の調達が思うように進まなかった。渋谷急行電鉄も資金調達が困難となり、路線建設が暗礁に乗り上げた。
渋谷急行電鉄は、会社を存続させることさえ難しくなり、東京横浜電鉄の五島慶太、鬼怒川水力電気の利光鶴松に相談をした。その結果、鬼怒川水力電気に過半数の株式を譲渡し、経営を委ねることになった...
近鉄の歴史は、大阪電気軌道(大軌)から関西急行鉄道(関急)へと続く。その関急の系譜をたどると、3つの系統があることがわかる。3系統で15社の資本統合。M&Aを繰り返しながら関急が成立し、そして近鉄が私鉄の雄へと成長していく過程を追っていく。
日本全国に伸びる鉄道網。戦後70余年はその拡大と縮小の歴史でもあった。その歴史には鉄道各社が掲げる「鉄の理念」と、ライバル会社との競争を生き抜くしたたかな「鉄の思惑」が交錯する。鉄道の資本移動という観点から、その歴史を振り返ってみる。