紀伊国屋からエバルスへ

紀伊国屋という名称で開業した林源十郎商店は1715年には大坂屋に改称する。林源十郎商店と改称したのは1892年(株式会社化は1950年)。幕末から明治にかけて倉敷の林家の代々当主は貧しい人々を救済しながら倉敷の街を育てる原動力となっていたが、11代当主の林源十郎は、キリスト教会の支援などにも尽くしたという。

大原美術館の創設者であり倉敷紡績の創業家一族でもある大原孫三郎のほか、岡山孤児院の創設者として知られ「児童福祉の父」と称される石井十次らとの親交も深め、地域への社会貢献・福祉の精神に根ざした倉敷の街づくりを実践してきたという。

林源十郎商店は昭和期に入り、高度経済成長の中で林薬品株式会社と称する組織変更を行った。1964年のことだ。ただ、ここまでは、いわば薬種業としての林源十郎商店の“内輪の事業承継M&A”ということができる。ところが、平成に入り、医薬・製薬業界の各社は大きなM&Aの荒波に揉まれていく。林源十郎商店(林薬品)は1997年に広島市に本社を置くオーク薬品と合併し、現在はエバルスという大手医薬品卸売業に変ぼうしている。

巨大医薬業界の一翼として

エバルスは、後述するメディパルホールディングス(HD)というグループの1社で、広島市中区と岡山市北区の2本社制を採用している医薬品・医療機器の卸売会社。現在は中国地方全域で事業展開している。前述のように、1997年にオーク薬品と合併した際に林薬品はエバルスと社名変更した。

余談になるが、2003年に広島市内にあるエバルスの倉庫に隕石が落ち、「広島隕石」と呼ばれたことが記憶にある人もいるだろう。そのエバルスは広島隕石の翌2004年、医療用医薬品等卸売、化粧品・日用品、一般用医薬品卸売、動物用医薬品・食品加工原材料等卸売など医薬の分野で多角的に事業を展開する持ち株会社メディパルHD<7459>の一員となった。