九州電気軌道を存続会社とし、他の4社を吸収合併

 鉄軌道5社の1941年度の鉄軌道の建設距離は、鉄道は九州鉄道77.48km、九州鉄道大川線16.04km、博多湾鉄道汽船50.95km、筑前参宮鉄道13.66km、総計158.13kmであった。軌道は、九州電気軌道39.75km、小倉電気軌道4.34km、福博電車26.61km、九州鉄道三井線32.85km、同大牟田市内線4.69km、総計108.24kmであった。鉄道と軌道をあわせると、266.37kmとなった。

 こうしたなかで、1941年12月、九州電気軌道・福博電車の村上巧兒、九州鉄道の進藤甲兵、博多湾鉄道汽船の太田清蔵、筑前参宮鉄道の大神熊次郎ら、鉄軌道5社の社長が経営統合のための基本申合書に調印した。

1942年2月には、九州電気軌道の取締役であった木村重吉が福博電車の常務取締役となり、合併認可申請に必要な各社の資産調査プロジェクトチームを作った。資産調査では、博多湾鉄道汽船以外の4社は対等と評価され、九州電気軌道を存続会社とし、鉄軌道5社の合併は、九州電気軌道が他の4社を吸収合併するという形で行われた。

1942年5月、村上巧兒をはじめとする鉄軌道5社の代表が、鉄道監督局長らの立ち会いのもとで合併契約書に調印を行った。各社は5月30日にそれぞれ臨時株主総会を開き、合併を満場一致で可決した。なお、合併申請書には、「政府ハ国家ノ総力ヲ挙ケテ聖戦目的完遂ノタメ重要産業ノ統制ヲ企図セラレ福岡県下交通事業五会社ノ至急統合方慫慂アリタリ」(「九州電気軌道、九州鉄道、博多湾鉄道汽船、福博電車、筑前参宮鉄道会社合併ノ件」1942年8月24日、『鉄道省文書 鉄道免許・西日本鉄道1 昭和17~18年』)と記されており、この鉄軌道5社の合併は戦時体制が深化する中で、政府の「慫慂」によって進められたのであった。

西日本鉄道は、1942年9月22日に設立登記を完了した(西日本鉄道の創立記念日は9月22日とされている)。合併時における鉄軌道5社の資本金は5,564万円であったが、九州電気軌道が、保有する九州鉄道の株式8万8,500株、福博電車の株式2万780株に対する新会社株式の割当を辞退するとともに、九州合同バスから自社株3,520株を買い入れ、564万円の減資を断行した。こうして、新会社の資本金は5,000万円となり、本社を福岡市西新町に置き、従業員6,340人(1942年11月30日現在)で出発した。