北部九州のバス事業の統合も進む

西日本鉄道の子会社・筑豊電気鉄道

西日本鉄道という社名は、博多湾鉄道汽船の太田清蔵社長の「北日本海汽船という成績優秀な会社があるが、西日本鉄道ではどうか」という発言によって決められたという。北日本海汽船は、1939年に北日本汽船と日本海汽船の合併によって成立した海運会社で、43年に大阪商船と合併した(現・商船三井)。1942年6月には関門トンネルも開通しており、事業範囲を北部九州から西日本一帯に広げるという意味合いの命名であった。新たに発足した西日本鉄道は、大牟田線・宮地嶽線の鉄道と、北九州線・三井線・福岡市内線・大牟田市内線の軌道を経営する、北部九州の鉄軌道会社となった。

 一方、北部九州では鉄軌道事業者だけでなくバス事業の統合も進んだ。九州電気軌道は1936年に九州合同バスを設立したのち、25社のバス会社を合併した。他の4社もそれぞれ沿線のバス事業者を統合していた。西鉄が成立してからは、1943年4月に筑豊バス、東福岡交通、同年5月には九州自動車を合併した。九州自動車は、すでに筑豊地区で19の事業者を合併していた。また、1943年5月には君津バス、6月には早良合同自動車、34年5月には京都バス、8月には筑紫自動車を合併した。譲受をしたバス事業者は48社におよび、路線延長は1,129kmに達した。