間宮 林蔵…対露防衛の礎となる地理情報を収集

間宮林蔵(まみや りんぞう)は200年以上前の1809年に、ロシアに渡りアムール川下流を探検した。当時ロシアの軍艦がエトロフ島を襲う事件(シャナ事件)が起こるなど、北の海でロシアの活動が活発化していたため、幕府の命によりカラフト探検を行う中で、大陸に上陸した。

間宮林蔵の像と生家

この探検の時にカラフトが島であることを確認しており、後にシーボルトによってカラフトと大陸の間の海峡を間宮海峡として紹介された。

大陸では清国(中国)の役所があったアムール川下流の町デレンを訪問し、清国の役人から日本人であることが珍しがられ歓待されたという。当時の大陸では清国の活動も活発で、ロシアが極東地域を十分に支配していなかったことが分かる。

幕府の命で国後島に派遣されていた際には、伊能忠敬に測量技術を学び、1803年に蝦夷(北海道)の日本海側とオホーツク海側を測量し、地図を作製した。

間宮林蔵は1780年茨城県つくばみらい市の小貝川のほとりに、農民の子として生まれた。生家は保存されており、現在は生家の隣に間宮林蔵記念館がある。記念館には間宮林蔵が描いたカラフトや蝦夷の地図が展示されているほか、カラフト探検時に使用した頭巾や幕府に提出した報告書などを見ることができる。

間宮林蔵記念館

間宮林蔵記念館は、つくばエクスプレスの守谷駅から関東鉄道バスで15分ほどの稲豊橋バス停から、さらに歩いて15分ほどの場所にある。建物の前面には広々とした水田が広がっており、当時の農村の様子が浮かび上がってくる。

守谷駅からのバスは1時間に1、2本しかないため、待ち時間は覚悟しなければならない。タクシーだと料金は2000円弱。記念館の入場料は100円。帰りは記念館の事務所でバスの運行時間を教えてもらえるので、待ち時間なしに守谷駅に到着できる。