山形県内のトップバンクの地位を固めた背景にあるのは、実は地元資産家による同族経営であった。しかも山形銀行の場合は、長谷川家と三浦家という地元の大地主・名士の「タンデム体制」による同族経営だった。同行の歴代頭取の名を見ると、長谷川姓と三浦姓の間に異なる姓の頭取名が数名入るものの、基本は三浦姓と長谷川姓が交代で頭取の任に当たっていた。いわば襷がけ人事、輪番制による頭取で躍進してきたのである。
三浦家のなかで特筆すべきは三浦新七氏だろう。両羽銀行の第9代頭取である...
大分銀行は1892年12月に設立された。その後、大分貯金銀行、豊岡共立貯蓄銀行、豊岡実業銀行、別府銀行などを合併し、地域金融機関としての基盤を確固たるものとしたのは、1927年、二十三銀行を合併したことによるといっていいだろう。
“ご当地銀行”の合従連衡史の2回目は、沖縄。沖縄には琉球銀行と沖縄銀行の2つの有力地銀があるが、ここでは琉球銀行を取り上げよう。琉球銀行は現在の日本政策投資銀行、日本政策金融公庫のように、特殊法人の政策金融機関、特殊銀行として設立された。